【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(10)】サッカー日本代表が世界に最も大きな衝撃を与えた試合に、2018年ロシアW杯1次リーグのポーランド戦を挙げる人は少なくないだろう。1点ビハインドの状況にもかかわらず、ボール回しで時間稼ぎをしてそのまま敗戦。決勝トーナメント進出のため、西野朗監督の“ギャンブル采配”は大きな波紋を呼んだ。一歩間違えれば八百長疑惑がかけられ、全てを失ってもおかしくなかった決断。賛否両論が飛び交った中で、指揮官は何を思っていたのか。当時は語られなかった真意に迫った。

 ボルゴグラードのスタジアムに鳴り響いたブーイングと指笛。激戦を期待していた地元のロシア人ファンが日本の“非敢闘精神”に抗議するのは当然として、勝っているポーランドのサポーター、状況をのみ込めていない日本のサポーターでさえもブーイングを浴びせた。複雑な感情が入り交じるスタンドの空気は、ピッチの選手たちも嫌というほど感じていた。

 ここまでの流れをおさらいしておこう。強豪揃いのH組に入った日本は初戦で優勝候補のコロンビアを2―1で撃破すると、第2戦でもアフリカの雄・セネガルを相手に真っ向から打ち合い、2―2の引き分けに持ち込んだ。この時点でセネガルと並ぶ勝ち点4で首位をキープ。1次リーグ突破に王手をかけていた。

 そうして迎えた2018年6月28日。相手は開幕から2連敗で早々に敗退が決定したポーランド。決勝トーナメント進出に向けて有利な状況の日本の西野監督は、先を見据えてスタメンを6人も入れ替える大胆な策をとったが、これはサプライズのほんの序章にすぎなかった。

 試合は両チーム決め手を欠いたまま、スコアレスで後半に突入。14分、相手のFKからDFヤン・ベドナレクに先制ゴールを許したことで、事態は風雲急を告げる。この時点で、他会場のセネガル―コロンビアが0―0だったため、このままなら日本は1次リーグ敗退。だがその後、コロンビアが先制点を奪い、日本は勝ち点で並ぶセネガルとの比較からフェアプレーポイント(イエローカードの差)で優位に立った。

 するとここから日本ベンチが慌ただしくなり、西野監督は控えだった主将のMF長谷部誠に指示を送ったうえで37分に投入。その直後から日本は前線へパスを送らず、相手のいない後方でボールを回し始め、試合終了のホイッスルが鳴るまで約10分間、ひたすら時間稼ぎを続けた。

 最高峰のW杯の舞台で試合放棄同然のプレーをするのは前代未聞。勝っているならまだしも“負け逃げ”という選択だっただけに衝撃も大きかった。他会場の状況が変わっていれば、自らの首を絞めることになる極めて危険な賭け。結果的に狙い通りのシナリオを完成させて16強入りの切符をつかんだが、海外メディアや評論家、ファンから「世紀の茶番」「もう日本代表は応援しない」などと猛バッシングを受けた。

 試合後、西野監督は「自分が選んだのが他力(での1次リーグ突破)だった。心情とすれば不本意。ただW杯はそういう戦いもあって、その選択が正解と出れば、それは勝負にも勝ったということ」と苦渋の表情を見せた。

 様々な要素が複雑に絡み合って導き出された、日本サッカー史に残る“ギャンブル采配”。勝ち残らなければ何の意味も持たないという「現実論」と、負けてもいいから正々堂々と戦うべきという「理想論」の争いは、サッカーの競技性やW杯の本質、さらに「潔さ」を美徳とする日本人の民族性といった部分にも及び、正解を導き出せないまま時は流れていった。

 とはいえ、全ての責任を取ったのは、この決断を下した西野監督。場当たり的な采配でなかったのは間違いない。W杯後に日本代表監督を退任した西野氏に話を聞く機会があった。あの決断の裏にはいったい何があったのか――。

「やっぱり他会場のことも頭にあったから、いろいろ言われるのは仕方ない」と、イチかバチかの賭けの要素があったことは否定しなかった。ただ、Jリーグでもあまたの輝かしい実績を残してきた名将は、こう続けた。

「あの日のFWレバンドフスキの動きがな…。このままなら確実にゴールを奪われると思ったよ。ワンプレーで十分な脅威。あの時間帯でもう1点取られたら、もう終わりなんだから」

 世界屈指のストライカーとして大会前は注目を集めていたポーランドのエースFWロベルト・レバンドフスキ。ロシアの地では不振でノーゴールが続いており、日本戦でも精彩を欠いていた。だが、ポーランドが先制した後は呪縛から解き放たれたのか、決定機を演出するプレーも出てきていた。そうした危険な空気を西野監督はいち早く察知していたのだ。

 レバンドフスキの力量や勢いと日本の戦力を天秤にかけ、このまま0―1のスコアを維持できるのかを考えた。仮に追加点を許した場合、逆襲できる力は日本にあるのか。そうした要素を総合的に判断し、瞬時に実行に移した。相手の変化を見抜く鋭い洞察力、長年培ってきた勝負師としての勘、さらに現役時代にFWで活躍してきたストライカーの勘が、自らの背中を押した。

 結局最後は運任せだったのかもしれない。だが、運を招き入れるだけの経験と準備、そして「智」と「武」を兼ね備えた名将だったからこそ、移ろいやすい勝利の女神も日本にほほ笑んだのだろう。まさに「勝負師・西野」を象徴する一戦。同時に、日本のサッカー文化を一段上げるために必要な“事件”だったのかもしれない。

 日本はレバンドフスキのような大型ストライカーを苦手としてきた。

 記憶に新しいのは、2014年ブラジルW杯で初戦の相手となったコートジボワールのFWディディエ・ドログバだろう。攻撃的サッカーで前評判が高かったザックジャパンは当時エースだったMF本田圭佑のゴールという最高の形で先制に成功した。

 理想的な展開で折り返したが、後半に入って17分に温存されていたドログバが投入されると状況が一変。直後の19分にFWウィルフリード・ボニ、21分にFWジェルビーニョのゴールで立て続けに失点。一気に試合の流れは変わり、日本は悪夢の逆転負けを喫した。

 当時のザックジャパンは大会前までに強豪国と互角に渡り合って実力をつけ、本田が「W杯優勝」を公言するなど最高の状態で大舞台を迎えていた。チームのムードも上げ潮で開幕を迎え、本田のゴールまでは最高の流れだった。しかし世界的なストライカーがたった一人ピッチに立っただけで状況が一変。日本は初戦敗退のショックを最後まで引きずり、未勝利のままブラジルの地を去ることになった。

 そんな“ドログバショック”が西野監督の頭の片隅にもあったのかもしれない。一人のビッグネームが試合を動かす怖さを知っているからこそ、不振だったレバンドフスキへの警戒を最後まで緩めることがなかったのではないだろうか。

 ☆にしの・あきら 1955年4月7日生まれ。埼玉県出身。浦和西高から早大を経て、日立製作所でプレー。指導者転身後は96年のアトランタ五輪で日本を率い、優勝候補のブラジルから大金星をあげて“マイアミの奇跡”と称された。古巣の柏やG大阪などで数々のJリーグタイトルを獲得。2008年にはアジアチャンピオンズリーグ制覇。16年に日本サッカー協会の技術委員長に就任後、18年4月にバヒド・ハリルホジッチ監督の電撃解任を受けて、ロシアW杯開幕2か月前に日本代表監督に就任。チーム再建に成功し、日本を2大会ぶりの16強へと導いた。