いま聞かないと「戦争体験者」がいなくなる 「母は必死に座布団で焼夷弾の火を消した」

いま聞かないと「戦争体験者」がいなくなる 「母は必死に座布団で焼夷弾の火を消した」

元伊藤忠商事社長、元中国大使の丹羽宇一郎氏が、太平洋戦争の体験者や軍事・安全保障の専門家に聴いて回り、教科書では学べない戦争の真実をまとめた『丹羽宇一郎 戦争の大問題』が刊行された。

「今回お会いした方たちの中で、最も若い方が89歳。戦争体験者は年々いなくなる。戦争の真実を知るには、いまがラストチャンスである」と語る丹羽氏は、終戦時、まだ小学校に入学したばかりで、本当の戦争を知らないという。その丹羽氏が「いまだ忘れられない記憶」とは。丹羽氏にとっての戦争体験を語ってもらった。

火の海が私の戦争体験

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されたとき、私は岐阜県瑞浪市近くの山間の集落へ疎開していた。私はその年、小学校に入学したばかりだった。したがって、8月6日に広島に、その3日後の9日に長崎に投下された原子爆弾のことを知ったのは後年のことである。

私の記憶にある戦争体験は1945年3月の名古屋大空襲だ。米軍機の空襲を受け、母と兄弟5人で防空壕に逃げ込んだ。そのとき投下された焼夷弾のひとつは防空壕の入り口に落ちた。焼夷弾は発火し、防空壕の中に炎が吹き込んできた。そのため母は必死になって座布団で焼夷弾の火を消していた。

その後、一家は焼夷弾の炎の道を縫うように走った。まるで道の両側に焼夷弾のろうそくの列があり、ろうそくの灯りに照らし出された道の上を艦載機の機銃に追われ走っているような光景は、いまでも鮮明に憶えている。戦後72年経ったいまでも時折、夢に見るほどだ。これが私にとっての戦争である。

人の記憶はそれぞれの体験とともにある。私は、この8月に出版した『丹羽宇一郎 戦争の大問題』の中で、何人もの戦場体験者のお話を聴いた。そのとき、それぞれの戦争の記憶は、それぞれの戦場体験によって大きく異なることを改めて実感した。

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