実は役に立つ「論語の素読」と「偉人教育」 「君たちはどう生きるか」というモデルの不在

実は役に立つ「論語の素読」と「偉人教育」 「君たちはどう生きるか」というモデルの不在

2018年度から小学校で、2019年度からは中学校で「特別の教科」として教科化されることになった「道徳」。教科化に対して批判も多い中で、実効性のある教え方はあるのか。

『大人の道徳:西洋近代思想を問い直す』著者の古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)、中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院准教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)の気鋭の論客5人が、徹底討議する。

道徳は日々自然に教わるもの?

中野剛志(以下、中野):古川さんから「道徳とは教科書で教えるようなものではない」と保守系の人が主張しているというお話が、前回の「『道徳教育を受けた人は収入が多い』は本当か」でありました。

座学ではなく、運動会で集団競技をやったり、規則に従って教室で勉強したりしていること自体が道徳教育になるし、あるいは友達同士で遊んでいるとき、けんかやいじめに先生が割って入ってやめさせるといったことも道徳教育であると。

古川雄嗣(以下、古川):ある意味で戦後教育がもともと目指していたのはそれだったんです。最初にもいいましたように、学習指導要領にも「道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行う」と書かれています。

ところが、それだけでは不十分だということになって、日々の学校生活を振り返りながら道徳について考えるような時間を新たに作りましょう、ということで設けられたのが「道徳の時間」です。さらに、それも形骸化してしまっているということで、今回、それが「教科」に格上げされたという経緯があります。

中野:確かに「運動会をやるだけでも道徳の教育なんだ」ということであれば、別に教科化する必要はないわけですね。

「学校は暗黙のうちに道徳を学ぶ場である」ということについては、実は右も左もコンセンサスが取れているんだと思うんです。例えば学校の先生が買春や不倫をしたら、問題になりますよね。もし学校で道徳など教えていないのなら、先生が何をしようが関係ないはずなんです。

でも右も左も「子どもたちは学校の先生の姿を見て育つのだから、先生は道徳的でなければいけない」と思っていて、だから先生が不道徳なことをするとみんなで騒ぐわけでしょう。


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