これまで日本では親の経済状況によって子どもの教育に格差が生じるのは、機会の平等に反するという考え方が強かった。そのことはアメリカと比較するとまだ劣るものの、曲がりなりにも奨学金制度が準備されていて、所得の低い親の子弟でも、より高い教育を受けられるように、と社会的な配慮がなされていることからもわかる。

少なくとも、本人の責任ではない条件によって発生する教育格差は排除すべし、というのが教育における機会の平等(均等)の精神であり、多くの人がそれを認めていたのである。

ところが、である。そのように広く支持のあった教育における機会平等に対して、黄信号が灯る時代がやってきている。どういうことかといえば、所得の高い親の子弟は高い教育を受けて当然であり、逆に所得の低い親の子弟は低い教育に甘んじるのもやむをえない、と思う人が増加しているのである。

教育格差を容認する人が増えている

拙著『教育格差の経済学 何が子どもの将来を決めるのか』でも詳しく解説しているが、下の図を見ていただきたい。この図は学校教育の格差に関する、保護者(すなわち親)の見方を示したものである。質問は「所得の多い家庭の子どものほうがよりよい教育を受けられる傾向をどう思うか」という単刀直入の問いであり、本稿での問題意識に合致している。

所得の多い家庭の子どものほうがよりよい教育を受けられる傾向をどう思うか(出所)ベネッセ教育総合研究所・朝日新聞社「学校教育に対する保護者の意識調査2018より作成

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2018年時点では、「当然だ」と回答した人が9.7パーセント、「やむをえない」と回答した人が52.6パーセントで、その合計は62.3パーセントであった。日本人の親の過半数が、教育格差はあってよい、あるいは教育における機会平等は達成されなくてよい/やむをえない、と判断していることになる。

ここで重要な情報は、2004年時点でそう考えている人は46.4パーセントであり、その後の14年間で15.9パーセントも増加したことである。教育における格差を容認する人が、かなりの勢いで増加しているのである。

掲載はしていないが、この調査では次の2つの気がかりな事実についても報告している。第1に、経済的にゆとりのある人、父母ともに大学卒で大都会に住んでいる人などが、教育格差容認と回答している人の多数派であったことである。