そもそも近年、昔ながらの住居が多い京都の中心地では住人の高齢化や町家をはじめとする建物の老朽化、そして空き家の増加が問題となりつつあった。

しかし、そのような地域でもインバウンド需要を見込んだ店舗や「お宿バブル」のおかげで、真新しい建物が立ち並び、大きなキャリーケースを転がしながら外国人観光客たちが行き交うようになったのである。このような景色は一見「街に活気が戻った」と見えるものであるかもしれない。しかし、京都の抱えていた問題がそれで解決したわけではなかった。

例えば、八坂の塔や「清水の舞台」で有名な清水寺などを擁し、京都を代表する一大観光スポットとしてシーズンを問わず多くの観光客でごった返す東山区。「人が多すぎて困る」「町並みどころか人しか見えない」と観光客が口々に愚痴をこぼすほどの人波とは裏腹に、今この地域で問題となっているのはなんと人口減少なのである。実にピーク時の半分ほどになってしまったという。

住宅は観光客のための「お宿」へと変化

その大きな原因の1つは、「お宿バブル」などの影響による不動産価格の高騰である。とくに子育て世代などがそこに住宅を確保することが難しくなってしまったのだ。つまり高齢化に伴って空き家となった住居が、また新たな住人を迎えるための住まいではなく観光客のための店舗や「お宿」へと変わっていくのである。 

1年中、人波は絶えないのに、ここで暮らす人はどんどん減っていく。昔からの住人の中には「確かに活気は戻ったが、まるで自分たちの街ではなくなってしまったようだ」とため息をつく人も多い。「お宿バブル」の表層的な活気とは裏腹に、住民の流出とコミュニティーの脆弱化という問題が着実に進行しているというのが現実といえるだろう。

そしてこれら「お宿」とコミュニティーの共存の難しさを京都市民に最も鋭く突きつけたのが、民泊をめぐる問題であった。

話は変わるが、先日、昭和生まれの僕の愛車の車検があったので、近所の自動車工場に車を持ち込んだ。「お兄ちゃん、えらい車やでこれ。ウチ選んで正解やったな」がははと笑う老社長に、「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」と手のかかる愛車の世話を丸投げする罪悪感と「とりあえず近所の年寄りは立てられるだけ立てておく」という京都暮らしの知恵をもって深々と頭を下げて、僕は早々に退散した。