日本における列車愛称は、戦前の1929年に当時の鉄道省が東京―下関間を結ぶ特急列車にそれぞれ「富士(ふじ)」・「櫻(さくら)」という名を与えたことが始まりとされる。

全国に広がったのは戦後で、国鉄が1949年に特急・急行に「へいわ」「銀河」、観光用準急に「いでゆ」といった愛称を復活させると、列車の愛称はたちまち全国的な広がりをみせた。首都圏と西日本を結ぶ「高千穂」「雲仙」や、東海道線の「東海」「伊豆」「いこま」「比叡」、北海道内の「大雪」「狩勝」、北陸線の「立山」「ゆのくに」など、地域を象徴する地名などを愛称とした急行列車が相次いで登場した。

1968年10月のダイヤ改正では全国に特急列車が増発され、北海道から九州まで特急網が整備された。「おおぞら」「はつかり」「みどり」「月光」「明星」「金星」「ゆうづる」などさまざまな特急列車が登場し、愛称の付いた列車が全国を駆け巡るようになった。

国鉄が避けていた「はやて」

ただ、列車愛称名はやみくもにイメージで命名されるものでなく、国鉄時代は列車名と駅名に「人名」は付けない、という暗黙のルールがあった。このルールがなければ東海道新幹線に「Banboku」(岐阜羽島駅の誘致に力を発揮した大野伴睦)とか、上越新幹線に「Kakuei」(田中角栄)など、駅を誘致した政治家の名が付けられていたかもしれない。

国鉄時代は人名のほか、悪いイメージにつながる名称も使わないことになっていた。例えば東北新幹線の「はやて」はスピードを象徴する名称だが、東北地方では昔流行った疫病の別名や農作物に冷害をもたらす季節風を「はやて」と呼ぶ地方もあった。国鉄はこの名を列車に付けることはタブー視していたようで、国鉄記者クラブ時代のレイルウェイ・ライター種村直樹さんや、かつて国鉄広報部に在籍していた作家の檀上完爾さん、国鉄OBからも何度か聞いたことがある。