そんなこんなで、明和町という町の歴史と将来に触れたところで、相良さんが教えてくれた。

「実は川俣駅、最初に開業したときは利根川の南にあったんです」(相良さん)

当時、利根川は東武にとってルビコン川のようなもので、なかなか橋を架けることができなかった。そこで、暫定的に利根川の南に駅を設けた。それが川俣駅のはじまりだ。

東武伊勢崎線 川俣駅の東口 川俣駅の東口。東口は2016年の駅舎橋上化とともに開設(撮影:鼠入昌史)

だから、川俣駅の名の由来になった「川俣」という地名は、利根川南岸、埼玉県内にある。1903年に利根川南岸に開業した川俣駅は、1907年に利根川北岸の現在地に移転した。

そのとき名前を川俣駅から変えなかったことで、県境を跨いで地名と駅名の不一致、などという珍しい例が生まれたのである。つまり、川俣という北関東入り口の駅は、駅周辺の様相の変貌とあわせ、東武鉄道の歴史にとってもある種象徴的な存在でもあるのだろう。

分福茶釜の茂林寺

川俣駅からまっすぐに北に進むと、館林市内に入って茂林寺前駅だ。その名の通り、茂林寺というお寺が近くにある。分福茶釜の言い伝えで知られる古刹で、観光に訪れる人も少なくない。

「駅から茂林寺までは、ちょうど分福茶釜の物語をたどっていきながらお寺まで歩けるように、道案内の看板も設けられています。昔はもっと参道にお土産屋さんが並んでいてにぎわっていたのだろうなという、そんな面影も残っていますよ」(相良さん)

東武伊勢崎線 茂林寺前 この先634mに茂林寺。茂林寺前駅を出て「絵本案内板」をたどっていくと着く仕組み(撮影:鼠入昌史)