テーブルの上に置いてあるミカンの山に手を伸ばし、1つとる。ゆっくりと皮をむき始めると爽やかな柑橘類の香りが部屋にフワッと広がる。新しい年が明けて間もなく、漠然とした抱負も、温めていた企画も軽く頓挫しかかっている。毎年のことながら驚きもがっかりもないが、こんな寒い中じゃ新しいことに取り組もうという気持ちがどうして起きようか。

まさにこの瞬間、日本全国、いや、世界中に、同じような悶々とした気持ちを抱えている人がどれくらいいるだろうか。布団にくるまってぼんやりと天井を眺めていると、また手が伸びる。今度はミカンではなく、『紫式部日記』を取るために。テンションが高くなっているときも、気分が沈んでいるときも、古典は絶対に私たちを裏切らない。「人間って昔っからこんな体たらくだったのか!?」という事実を静かに訴え、私たちを安心させてくれるのだ。

ということで今回は、現代人と同じように布団にくるまってミカンを食べながら(あくまでイメージ)、「これで本当にいいのか……私はこれからどうなっちゃうの……?」と思い悩んでいる紫先生の素顔を少しだけ覗き込み、その不安の向こうにある強い励ましの言葉を探ってみたい。

楽な人生を歩まなかった紫先生

『紫式部日記』は1008年の秋から1010年の正月の間に書かれた、当時の後宮の様子を詳細に捉えている日記だ。言うまでもなく、作者は不朽のベストセラー『源氏物語』を執筆した紫式部大先生。

正妻こそなれなかったものの、一生涯を通して源氏君が最も愛した女性と言われており、容姿も、身分も、教養も、心とマナーも最上級、どこから見ても完璧な紫上のことは知らない人がいない。

しかし、そんな理想の女を描きだした紫式部本人は、そう楽な人生を歩まなかった。

日記を通して見えてくる彼女の性格もだいぶひねくれていて、平安人が求めていた素直で、究極の癒し系モテ女子では決してなかったと思われる。年表がはっきりしない中、諸説あるが、癖の強い性格のせいか、主流の研究によると結婚は一回きり、著者が27歳のとき。

最近は「結婚適齢期」という言葉を耳にすることがほとんどなくなったが、寿命がさほど長くなかった昔の人にとって、家庭を持つなら数年間が勝負だった。それ以外の選択肢がたくさん用意されていたわけではない。結婚するか、出家をするか……端的に言うと選べるのはそのどちらかしかなかった。

平安スタンダードといえば、紫式部が仕えた藤原彰子が一条天皇の二番手の中宮になった年は12歳。彼女の従妹でもある定子も、14歳の時に同じく一条天皇に嫁いでいる。