「ボーイズリーグ」の愛称で知られる日本少年野球連盟は、大阪に本拠地がある中学以下の硬式野球の全国組織だ。1970年に大阪で結成された。

日本の少年野球は大正期に発明された軟式ボール(軟球)によって急速に普及した。戦後の野球ブームを牽引したのは軟球だったと言ってよい。

1954年、当時右打ちだった中学生の王貞治を偶然見かけた荒川博(のち巨人コーチ)が「君は左打ちのほうがいい」とアドバイスして左打者に転向させたのは有名な話だが、王が当時プレーしていた「厩四(うまよん)ケープハーツ」も軟式野球チームだった。当時の大部分の子どもたちは軟球しか触ったことがなかった。

この時期にアメリカのリトルリーグがもたらされ、小学生の硬式野球ができたが、これを習うのはごく少数のエリートだけだった。

独自の硬式野球リーグの創設

南海ホークスの大監督だった鶴岡一人は、監督を引退後、リトルリーグのチーム「リトルホークス」を創設した。しかしバントなし、盗塁なしなどアメリカ流のリトルリーグの野球は、当時のエリート野球少年には物足りないもののように思われ、日本のプロ野球流の高度な野球を教えるために1970年、独自の硬式野球リーグを創設した。

これがボーイズリーグのはじまりだ。本拠地は南海のホーム大阪球場だった。

鶴岡の誘いもあって元プロ野球選手たちも、数多くボーイズリーグの指導者になった。鶴岡監督のもと南海などでプレーした黒田一博は引退後、大阪市住之江区で運動具店を営む傍らボーイズリーグチームの「オール住之江」を創設し、多くの野球選手を育成した。その1人が黒田一博の次男で、広島、ドジャース、ヤンキースで活躍した黒田博樹だ。

ボーイズリーグは当初、小学生が中心だったが、次第に中学部門が充実する。1972年には小学生リーグしかなかったリトルリーグも、中学生の硬式野球リーグである「リトルシニア」を創設した。

さらにボーイズリーグから「ヤングリーグ」が分派。またアメリカ生まれのリトルリーグとは別の少年硬式野球リーグである「ポニーリーグ」も盛んになり、硬式少年野球チームは主要4団体が並立する状況になっている。