その「民主主義」が大きな挑戦を受けている。「民主主義」は、単に政治的意思決定や統治の原理ということにとどまりません。民主主義という思想が生まれ、普遍的価値を持つに至った歴史に鑑みれば、民主主義は「基本的人権(les droits inaliénables)」や「自由(liberté)」「平等(égalitée)」「参加(engagement)」、そして「法の支配(rule of law)」といった「理念」と深く結び付いています。

「民主主義」が近現代社会の普遍的価値原理となったのは、民主主義(とそれを支えている理念)が単に政治的意思決定や統治に関わる原理──政治への参加・政治的平等(=普通選挙)──だけではなく、民主主義を支える土台となる経済社会での平等、参加の保障、という価値原理をも内包しているからにほかなりません。

福祉国家を支える基本哲学

デンマーク出身の社会学者・政治学者で福祉レジーム論の大家であるエスピン・アンデルセンによれば、戦後の福祉国家は、コミュニズムやファシズムの挑戦を受けた戦前の反省に立って、資本主義(市場経済)と民主主義の両立を目指す中で生まれた、とされています。

日本がそうであったように、戦後の民主主義社会――リベラルデモクラシー――を支えたのは、市場経済を基礎とする自由経済体制の下、経済発展による豊かさを背景に形成され、社会の中核を担うこととなった中間層の人たちです。

いま、中間層は世界中で崩壊しつつあります。世界経済の変調、産業構造の変化、グローバリズムの進行などによって、世界全体で、そして日本でも格差の拡大、社会的疎外、社会の分断が問題視されるようになりました。

「経済成長による豊かさと社会の安定の好循環」が崩れ、経済的な不安定さと将来への不安から「社会の不安と分断」が生まれます。結果、人々は「より強権的な指導者」を求めるようになっていきました。

現在の世界を見ると、かつてのような、選挙を経ずにクーデターなどで権力を握る独裁政権や軍事政権のような「あからさまな反民主的指導者」はあまりいません。多くの現代の独裁者は、民主主義的政治体制の中から(あるいは「民主的」に選ばれたように装いながら)生まれているのです。

思えば、ドイツのナチス政権は、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法下で合法的に誕生した政権でした。経済不安・社会不安を背景に、外に敵(ヴェルサイユ体制)をつくり、内に敵(ユダヤ人)をつくり、扇情的な教宣活動や(ときに暴力も辞さない)大がかりな街頭運動によって国民の支持を取り付け、授権法によって議会を無力化し、レファレンダム(国民投票)を多用してポピュリズムをあおり、社会を隅々まで「ナチ化」して独裁的な権力を「合法的」につくり上げました。ナチス政権下、人権と民主主義という近代世界の普遍的価値と制度は徹底的に破壊され、蹂躙(じゅうりん)されました。

現代の民主主義社会で暮らす私たちにとっても、ファシズムは決して遠い過去の話ではありません。『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ)の著者で、大学で「ナチスを体験する」授業を続けている甲南大学の田野大輔教授は、「人はいとも簡単にファシズムになびく」「民主主義が『多数派の支配』と理解されるような社会では、その危険はむしろ高まっている」「独裁体制の支配者など、権威に服従する人びとは一見従属的な立場に置かれているように見えるが、実は上からの命令に従うことで自分の欲求を充足できる治外法権的な自由を享受しており、主観的にはある種の解放感を味わっている可能性が高い」と述べています。