日本各地にボンネットバスやボンネットトラックなどが保存展示されていますが、そのなかでも一風変わった車歴を持っているのが、日野自動車が所有するTE120改はしご消防車。ある歴史の生き証人ともいえる車両です。

「日本復帰」直後の沖縄へ配備された消防車

 東京都八王子市にある日野オートプラザ。ここは日野自動車の技術開発史を紹介する展示施設で、敷地の各所に実物のトラックやバス、貴重な車両やエンジンなどが展示されています。

 正面入口の脇にはトラックやバスとともに、はしご消防車も1台展示されています。いまでは貴重なボンネットタイプの消防車両です。同車は日野自動車製のTE120型トラックをベースに日本機械工業が消防架装したもので、沖縄県沖縄市の消防署で1974(昭和49)年から1997(平成9)年まで使われていました。

「TE120改」と呼ばれる消防車ですが、同車が配備された当時、沖縄では左ハンドル車が主流でした。

 太平洋戦争において地上戦が繰り広げられた沖縄は、戦後アメリカ軍の統治下におかれ、交通法規もアメリカに準じていました。自動車は右側通行であり、左ハンドル車ばかりで、消防車についてはアメリカ製、もしくはアメリカ製トラックがベースのものが多かったといいます。

 1972(昭和47)年5月15日に、沖縄は日本へ返還され「沖縄県」として発足します。しかし日本に復帰したからといって、直ちにすべてのインフラが他の都道府県と同じようになるわけではありませんでした。

周りが左ハンドル車だらけのなか、あえて右ハンドルで配備

 とくに道路交通に関しては、信号や標識、道路標示だけでなく、バスなどは車両構造も変更しなければならないため、しばらくは暫定措置によって沖縄県だけ従来のまま右側通行とされます。しかし国際的な「ジュネーブ道路交通条約」によって「一国一交通制度」が規定されていたため、将来的には他の都道府県と同じく左側通行にする必要がありました。

 日本政府は1975(昭和50)年6月、3年後の1978(昭和53)年7月30日を目途に沖縄県全域の交通法規を修正することを決定、同日を持って一斉に右側通行から左側通行に切り替えることとします。この日は「ナナサンマル」の名で喧伝されました。

 そうなると、1978(昭和53)年以降も使用する車両は、最初から右ハンドルの方が都合が良いわけです。このような経緯のもと、「ナナサンマル」の4年前、右側通行だった沖縄にあえて右ハンドルで配備された消防車の1台が、日野オートプラザに展示されているTE120改なのです。

 前出のとおり、それまで沖縄に配備されていた消防車の多くはアメリカ製、もしくはアメリカ製のトラックがベースでした。日本復帰からわずか2年後に配備されたTE120改は、左ハンドルの消防車ばかりのなか、きわめてレアな右ハンドルの日本製消防車であったため、ある意味で復帰の象徴だったようです。

日野自動車が保管するもう1台のはしご消防車とは

 1978(昭和53)年7月30日を境に、ほかの46都道府県と同じく左側通行になった沖縄県は、一転して右ハンドル車が主流になっていき、1980年代になると右ハンドルの消防車も特段珍しいものではなくなっていきます。

 TE120改はしご消防車は23年間使われたのち、1997(平成9)年に退役しました。いまではボンネット型のはしご消防車として希少な1台ですが、実は沖縄の歴史を語るうえでも貴重な車両といえるでしょう。

 なお、現役を退いたTE120改は地元ディーラーの仲介で、2000(平成12)年に東京へ。およそ四半世紀ぶりに日野自動車のもとへ「里帰り」しています。

 ちなみに日野自動車にはもう1台、1970年代生まれのはしご消防車があります。それは2020年3月まで山梨県都留市で使われていた「KB型」。1978(昭和53)年製で40年以上にわたって現役であり続けたベテランです。

 こちらは鼻っ面のない、いわゆるキャブオーバータイプのため、ボンネットタイプのTE120改とともに展示されれば、ほぼ同年代ながら形状の違う消防車両として比べることができるでしょう。将来の展示が待ち望まれます。