日本から撤退が決定したエアアジア・ジャパン。かつてここと大きな関わりがあったのが、ちょうど1年前にピーチとなったLCCのバニラエアです。合併に至るまでの紆余曲折や合併後の名残りなど、実は稀有な歴史を多く持っていました。

初代「エアアジア・ジャパン」として設立も…

 2020年10月に日本からの撤退が決定したエアアジア・ジャパン。その1年前となる2019年10月26日、ひとつの航空会社が幕を閉じました。その翌日の10月27日から、ピーチ・アビエーションの一部となったLCC(格安航空会社)のバニラエアです。

 このバニラエアは、日本の航空会社のなかでも少しユニークな経歴を持っていました。同社の始まりは、日本国内でLCC各社が立ち上がり始めた2011(平成23)年に、成田空港を拠点に設立された初代「エアアジア・ジャパン」です。マレーシアのエアアジアの日本支社として、エアアジア本社とANA(全日空)が手を組んで生まれました。詳しい理由は後述しますが、初代のほうは、冒頭の2020年に撤退したエアアジア・ジャパンとは別の会社です。

 この初代エアアジア・ジャパンはエアアジア本流の、しかしまだLCCでの渡航に不慣れだった当時の日本人にとっては不便とも捉えられかねない、ある種「本場のLCCらしさ」の強いサービスを前面に押し出します。

 たとえば決済方法や予約方法の単一化、厳格な手荷物制限、日本では一般的な旅行代理店を経由した航空券購入の導入が難航するなど。このことで、ANAとは提携がうまく行かなくなったほか利用率もあがらず、2013(平成25)に解散となります。この初代エアアジア・ジャパンを、ANAグループが単独で引き継いだのが「バニラエア」だったのです。

 一方、その後エアアジアは2014(平成26)年、単独で中部空港を拠点に2代目「エアアジア・ジャパン」を設立。徐々に路線を拡大中であったものの、新型コロナウイルスの需要減退などの影響を受け、冒頭のとおり2度目の撤退を余儀なくされました。

生まれ変わった「バニラエア」 今も残る功績とは

 一方、初代エアアジア・ジャパンからリスタートとなったバニラエアでは「和製LCC」らしいサービスを展開し、出直しを図ります。テーマは「リゾート」で拠点は成田空港、ここから那覇線、台北線を就航させ、観光都市を中心にネットワークを拡張します。

 また、パッケージツアーや、旅行代理店経由といった航空券購入のバリエーションも増えたほか、エアアジア時代は有料で事前予約制だった預け手荷物も、プランによっては追加料金なしで選べるようになりました。チェックインの締め切り時刻も、エアアジア時代の出発45分前から30分前に繰り上げられています。

 とくに同社の功績として知られているのは、「リゾート」路線として奄美大島線を開拓したことでしょう。それまで老舗の航空会社のみが参入していた同地域に就航。「バニラ効果」と呼ばれる大きな経済効果を生み出し、同地域への渡航のハードルを大きく下げています。

 このほか定評があったのは、機内で買えた「特製とろ〜りクリームパン」。ピーチと合併した時は、これが食べられなくなることを惜しむ声が続出するほどの名物で、ラストフライトでは通常の2倍サイズのものが販売されました。

 2018年3月、バニラエアはピーチと合併することを発表します。同じANA傘下で、成田空港を拠点とするバニラエアと関西空港を拠点とするピーチが合体すれば、「日本、そしてアジアのリーディングLCCになれるから」というのが理由です。

 そして迎えた2019年、バニラエアのフィナーレは「かつてないポジティブなもの」でした。

明るいフィナーレの後… 名残りはANAにまで

 2019年10月5日、成田空港の格納庫に約300人のスタッフが集い行われたのは、空港のチャイムや飛行機のエンジン音など、バニラエアのスタッフや利用者が耳にしていた音をベースに作られたオリジナル曲の発表。格納庫では参加者全員の掛け声を録音し、それを「完全版」として特設サイトで公開しました。最終運航日となった10月26日には、成田空港でバニラアイスを片手に乾杯をし、最後を迎えました。バニラエア時代の5年10ヶ月で約7万5000便を運航。総旅客数はおよそ1130万人にのぼったそうです。

 先述のクリームパンは引き継がれることはありませんでしたが、バニラエアの路線の多くはピーチとして引き継がれ、いまのピーチの一大ネットワークへとつながっています。バニラエアが保有していたエアバスA320型機の12機は、順次ピーチ色に塗り替えられ就航。ひと目ではわかりづらいですが、元バニラ機を意味する「JA●●VA」の機番はいまもそのまま刻まれています。

 そして、実はこの元バニラのエアバスA320型機のうち3機は、機内の仕様そのままにANAで運航されています。国内線の羽田〜八丈島線、庄内線などに見られる時刻表記載「32G」の機材がこれで、ある意味「貴重な体験」ができる飛行機になっています。

 ちなみにこの「32G」はいずれも、初代エアアジア・ジャパン時代に発注され、バニラエアでエアアジア仕様のまま就航開始、さらにANAでいま飛んでいるという、これらの歴史の紆余曲折を知っている飛行機といえるでしょう。

※一部修正しました(10月27日9時27分)。