空母は、艦載機で敵艦や敵陣地を攻撃するための、いわば洋上の航空基地です。しかし第2次世界大戦中のアメリカ海軍は、あえて敵のいない自国本土にある湖で空母を運用しました。

湖に空母を浮かべる、そのメリットとは

 第2次世界大戦中、アメリカ海軍は大小合わせて100隻以上もの空母を運用しました。そのなかには貨物船や油槽船(タンカー)などから改造された艦も含まれますが、2隻だけ、明らかにほかの空母とは異なる出自の艦がありました。その名は「ウルヴァリン」と「セーブル」、この2隻が航行していたのは大西洋でも太平洋でもなく、北米大陸の内陸にある五大湖のひとつ、ミシガン湖だったのです。

 なぜ、アメリカ海軍は敵のいない内陸の湖で空母を運用したのでしょうか。その理由は、まさに「敵がいない内陸部」だったからです。

 1941(昭和16)年12月8日に日本が真珠湾を攻撃し、アメリカも第2次世界大戦に参戦すると、大西洋と太平洋の両海域でアメリカ海軍は空母が必要になりました。ただし、空母には搭載する艦載機部隊が必須です。そのため、空母の大量建造とともに艦載機パイロットの大量養成に着手しました。

 艦載機パイロットの養成には、空母の発着艦訓練が必須です。しかし、数に限りがある既存空母を練習用に回すほどの余裕はなく、また外洋でパイロットの発着艦訓練を行うのは、空母とパイロットの双方にとって危険が多いと考えられました。

 なぜなら外洋の場合、たとえアメリカ本土近海であったとしても、敵の潜水艦による攻撃を受ける可能性があるからです。また外洋は波や風の影響が大きく、新米パイロットにとって負担が大きいほか、不慣れであるがゆえに操縦ミスや事故などで海に落ちる可能性が高く、そうなった際に外洋は救助が難しいというデメリットもありました。

 そこでアメリカ海軍が目を付けたのが、五大湖と、そこを航行する貨客船でした。五大湖は、アメリカとカナダの国境沿いに広がる淡水湖で、一番小さなオンタリオ湖でも日本の四国より大きな面積があります。

 湖内の貨客船を空母に改造すれば、貴重な外洋の空母を訓練に転用する必要もありません。こうしてアメリカ海軍は、五大湖で就航していた2隻の民間船を買い取りました。

史上稀な外輪船型空母の誕生

 アメリカ海軍が選んだのは、1912(大正元)年進水の「シー・アンド・ビュー」と1924(大正13)年進水の「グレーター・バッファロー」でした。まず前者が1942(昭和17)年8月に訓練空母「ウルヴァリン」として、次いで翌1943(昭和18)年5月に後者が「セーブル」として就役しました。

 この2隻は訓練専用ということで、対空火器などの兵装はなく、軍艦としての通信設備も必要最低限でした。さらに艦載機は、近傍の陸上基地から飛んできて発着艦訓練のみ行うため、艦載機用の格納庫もありませんでした。

 このように、訓練用空母として必要最小限の改造に留められたため、動力は貨客船時代のままで、石炭炊きのボイラーで左右の水車を回して進む外輪船構造でした。

 空母として就役した時点で、すでに艦齢は「ウルヴァリン」が約30年、「セーブル」が約20年経っていたため、両艦とも第2次世界大戦が終結するとともに必要なくなり、1945(昭和20)年11月に揃って退役しました。

 しかし2艦は訓練用空母として、短い現役期間中に合計で11万6000回もの艦載機の着艦訓練に従事し、両艦で訓練を受けた艦載機パイロットの人数は、合計で1万7820名にものぼりました。

 アメリカが大戦中に数多くそろえた空母機動部隊の骨幹を支えたのは、大西洋と太平洋から大きく離れた五大湖にいた2隻の外輪船型空母だったといえるでしょう。

 ちなみに、「セーブル」で訓練を受けたパイロットのなかには、後に第41代アメリカ合衆国大統領になった「パパブッシュ」ことジョージ・H・W・ブッシュもいます。

 なお当然といえば当然ですが、訓練中に操縦ミスなどで数多くの機体が水没しました。わずか2年ほどのあいだに120機以上が水没しているそうで、大戦後、ミシガン湖からは40機以上が引き揚げられていますが、いまだ80機近くの機体が湖の底に眠っているといわれています。