アメリカ製のM24「チャフィー」軽戦車は、第2次世界大戦末期にヨーロッパ戦線で投入されると、朝鮮戦争などで用いられ、戦後の日本にも供与されました。そのため、いまでも各地の自衛隊駐屯地に保存展示されています。

軽戦車の構造でアメリカの技術力を知る

 2020年は、陸上自衛隊の前身である警察予備隊が発足して70年の節目の年です。1950(昭和25)年8月10日に、日本国内の治安維持を目的に組織されました。それから約2年のあいだに、戦車改め「特車」の名称で、戦車の運用を始めるために部隊の編成から実車の用意まで行われたのですが、このときアメリカ陸軍が警察予備隊に対して供与したのが、M24「チャフィー」軽戦車でした。

 M24「チャフィー」は、警察予備隊が保安隊に改編され、さらに陸上自衛隊に改められても使用され続け、1974(昭和49)年の全車退役まで20年余りにわたって運用されました。

 なおM24「チャフィー」は、アメリカでは軽戦車に分類されますが、そのサイズや重量は旧日本陸軍で主力として用いられた九七式中戦車よりも大きいものでした。75mm砲を装備し、装甲も九七式中戦車より厚く、最高速度は10km/h以上速く、車内も広く……と、「軽戦車」「中戦車」という区分とは裏腹に、M24の方がすべてにおいて勝っていたのです。

 また数値では表せない部分においても、M24は優れていました。トランスミッションはオートマチック(自動変速機)で運転しやすく、機動性や悪路走破性に大きく影響するサスペンションも、当時の日本では作ることが難しいレベルのものでした。クルマにも通ずるこれらは開発と量産の双方に高い技術が必要で、まさに当時の優れたアメリカの自動車技術を体現する兵器だったといえるでしょう。

本当に「パンター」戦車になった「子パンター」

 日本の九七式中戦車よりも高性能なM24「チャフィー」軽戦車を、アメリカは第2次世界大戦中の1943(昭和18)年に開発し、翌1944(昭和19)年後半から早くもヨーロッパ戦線で実戦投入しています。

 このとき、敵であるドイツ軍が使用する「パンター(パンサー)」中戦車にシルエットが似ていたところから、「Panther Pup」すなわち「子豹(ヒョウ)」と呼ばれることもあったそうです。

 第2次世界大戦後は他国への供与戦車として、冒頭に述べた日本を含めて25か国以上で用いられました。なかでもノルウェーは、エンジンや変速機を一新、主砲をより強力な90mm砲に換装し、レーザー測距儀や赤外線暗視装置などを増設するなどして、性能を大幅に向上させ、冷戦終結後の1990年代まで第一線にて運用していました。

 なお前述したようにM24「チャフィー」は「Panther Pup」と呼ばれましたが、第2次世界大戦後、まさしく「パンター」戦車になったことがあります。それは1966(昭和41)年に作られたアメリカとフランスの合作映画『パリは燃えているか』においてです。

 この映画でM24「チャフィー」は、ダミー砲身やサイドスカートなどを取り付け、ドイツ軍戦車の国籍標識と塗装で「パンター」戦車役として登場しました。この「M24改造のパンター」は、のちの戦争映画などでも使用されたようで、車両自体はフランスにあるソミュール戦車博物館に保存されています。

 また、それ以外でも日本の特撮映画をはじめとして、各国の映画に様々な役で用いられました。

 M24「チャフィー」は、当時の日本人の体格にあったサイズで、なおかつオートマチック変速機による運転のしやすさなどから、陸上自衛隊では同様に供与されたM4「シャーマン」戦車よりも評判が良かったといわれています。その扱いやすさは、銀幕のなかでも同じだったようです。