東京・高円寺にある銭湯「小杉湯」の番頭で、イラストレーターでもある塩谷歩波さん。とあるきっかけから銭湯の魅力にどっぷりとはまった彼女が、その魅力を発信すべく描き始めたイラスト「銭湯図解」が人気を集めている。

作品は数々のメディアでも紹介され、昨年には、イラストを1冊にまとめた書籍が発売されたほどだ。今回は、塩谷さんにイラストを描きはじめた経緯や作品へ寄せる思いなどを聞き、「銭湯図解」の魅力に迫った!

■銭湯の魅力を一枚の絵に詰め込んだ、細か過ぎる「銭湯図解」

たくさんの人々が交流している姿や浴槽の特徴、お風呂の楽しみ方を緻密に描いた「銭湯図解」。2016年から自身のSNSで投稿をはじめ、東京の銭湯を中心に制作している。数ある作品のなかでも、特に塩谷さんの思い入れが強いのが、自身が働く「小杉湯」だ。こちらの銭湯図解は、2回にわたって製作したという。

「自分が働いている銭湯だからこそ、普段通われている方の姿を浮かべて、いつもどんなふうに過ごされているかを思い出しながら書き上げました。いつも小杉湯を使ってくれている方や働いているスタッフに、さらに小杉湯に愛着を持ってもらえるようにと思いを込めました」

また、千葉県・習志野にある銭湯「クアパレス」については、円形のものや道のように細く長いものなど、独特な浴槽の形を捉えるのに苦労したそう。

「銭湯のイメージとはかけ離れた、きらびやかな内装やその雰囲気がすごく好きで。お風呂に入った時、そのまま番台でお願いして描かせてもらうことになりました。どの浴槽もほかの銭湯とは比べられないユニークな形だったので、そこを絵で再現するのにひと苦労で…。1番時間がかかったかもしれませんが、雰囲気を描くことはできたと思います」と塩谷さん。

彼女がずっと「描きたい」という気持ちを胸に秘めていた、徳島の「昭和湯」も書籍化をきっかけにその願いが叶ったという。

「ずっとネットで写真を見ていて、本を出すならこの銭湯を描きたいと思い続けていました。独特なのが壁画。タヌキたちが思い思いの時間を過ごす姿が本当にかわいらしくて。色も含めて忠実に再現しようと試行錯誤しました。全体の色合いも含め、大好きな作品の一つですね」

そのほか、「レトロ銭湯の醍醐味を味わえる」と、塩谷さんが太鼓判を押す東京・北千住の「大黒湯」や、オンラインサロンで店長と繋がって以来、応援し続けているという東京・大崎の「金春湯」のイラストにも並々ならぬ思いが込められているそう。

「『大黒湯』は、富士山の壁画や立派な屋根、待合室の池、大きな脱衣所など、昭和レトロな雰囲気が漂う素敵な銭湯です。時代が止まっているような、でも、とても新しいような空気感を大切に描きました。また、『金春湯』は、今の店長さんが店長になる前からお話をする機会があって、私が主宰していたオンラインサロンを通じて"銭湯を継ぐ"という決意をされたんです。それがうれしくて、絵を描くことで応援したいと思い製作しました。今やサウナが人気でお客さんが増えてきているそうなので、とてもうれしく感じています」

■「ちょっと日常に疲れた時に、寄り添ってくれるのが銭湯」

数々の作品で銭湯の魅力を発信し続ける塩谷さん。銭湯図解を描くきっかけとなったのは、前職での休職だったと語る。

「大学卒業後に設計事務所に就職し、1年半ほど働いたところで体調不良で休職しました。心身共に病んでいたところ、大学の先輩に連れられたのが銭湯でした。銭湯ののびやかな空間と、お客さんとの何気ない会話に癒やされ、交互浴の効果もあって、どんどん体や心の調子が良くなっていって。その体験から、銭湯の魅力を少しでも多くの方に届けたいと思い、描き始めたのが『銭湯図解』でした」

すっかり銭湯に魅了された塩谷さんは設計事務所から小杉湯へ転職。今や数々のメディアやテレビ番組で取り上げられ、多方面で銭湯の魅力を発信している。

日本各地の銭湯を知る塩谷さんが思う、銭湯の魅力を聞いてみた。

「"ケの日のハレ"(日常の中の非日常)ですね。家風呂ほど日常的でなく、温泉やスーパー銭湯ほど非日常ではない。一週間の、水曜や木曜にいくような、日常の中のちょっとした息抜きに行くのが銭湯です。私が心を病んだ時に銭湯に出合って救われたように、ちょっと人生に疲れた、日常に疲れた、そんな時に寄り添ってあげられる場所だと思います」

今までイラストを制作した銭湯からは、「自分の銭湯がこんなにいい場所だと思わなかった」「この絵を見て、頑張ろうと思った」と、うれしい感想が届くこともあるという。

「ずっとその場にいるからこそ見えない魅力を、絵を通して第三者の目線から伝えられていることが銭湯図解の役割だなと思っています」と塩谷さん。

イラストを描く時には、関わっている方の思いをしっかりとヒアリングして、その思いを絵で表現するという点に最もこだわっているという。

「例えば、こだわりの家具をしっかり描くとか、"ここで過ごすのが好き"という状況を絵で描くとか。その方の思いに寄り添うことを大切にしています」

■副業「アトリエ エンヤ」で、レストラン図解も

小杉湯で働く傍ら、「アトリエ エンヤ」という屋号で、昨年から小杉湯以外の仕事を副業として始めた。レストランやギャラリー、図書館などの図解の依頼を受けてきたという。

最初の頃はお気に入りの場所に取材アポを取って「銭湯図解」を描いていたそうだが、今は本業と「アトリエ エンヤ」の仕事で手いっぱいのため、銭湯図解はお休みしているそう。

「銭湯図解は、銭湯の魅力を絵を通してのその店長さんに届けられることに価値があると思っています。『自分では価値が分からない』『魅力の発信の仕方が分からない』、そんな場所が銭湯に限らずにあると思います。そんな方たちのお手伝いを、これからも図解を通してできればいいなと思っています」

どんな制作物でも、人々がその場所に寄せる思いに寄り添うことから始めるという塩谷さん。細やかに描かれた図解には、さまざまな人の思いが込められている。銭湯の魅力を再発見するために、ぜひ目を凝らして読み込んでみてほしい。

取材・文=左近智子(glass)