映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットを経て、来日間近となったQueen(クイーン)が、また新たな「伝説」を作りました。1月15日から始まった「クイーン展ジャパン」の予約数が、東京、横浜、大阪の3会場合わせて2万人に達しました。フレディ・マーキュリーやブライアン・メイ、ジョン・ディーコンが過去のツアーで着ていた衣装や、フレディが日本人にプレゼントした時計や日本刀といった初公開のアイテムも公開。初日の会場では、公私ともにフレディのボディーガードをしてきた日本人の姿がありました。

ボディーガードが見た素顔のフレディ

「QUEEN EXHIBITION JAPAN 〜Bohemian Rhapsody〜」(同製作委員会主催、特別協賛・集英社)のオープニングセレモニーがあった東京会場の日本橋高島屋には、10時30分の開場を前に約200人が行列を作るほどに。

そんな熱気あふれる会場にいたのは、公私ともにフレディの来日時のボディーガードをしてきた伊丹久夫さん(73)です。

「僕は音楽評論家のようなことは言えませんが、クイーンの曲は今でも高校野球の応援歌とか、ドラマの主題歌に使われたり、パチンコ屋でも流れたりしています。日本でも知られる大物アーティストはたくさんいますが、ここまで曲が流れているのはクイーンぐらいじゃないでしょうか」

実は伊丹さん。クイーン以外にも、ロックの黄金期とも言える1980年代や1990年代に世界的なヒットを飛ばして来日したマイケル・ジャクソン、マドンナ、ローリングストーンズ、エアロスミス、ボンジョビ、デュランデュランなど、名だたる大物の来日時のボディーガードをしてきた経歴があります。間近でレジェンドを見てきた伊丹さんの言葉。説得力があります。

あのマネジャー、元恋人も

伊丹さんによると、フレディの来日は1975年から1986年までの間、コンサートツアー及びプライベート旅行を合わせると7回あったそうです。

他のロックスターと比べると、「手間がかかりませんでした。わがままも言いませんでした」と振り返ります。

「初来日時はメンバー4人で食事に出掛けることもありましたが、それ以降はバラバラで行動していました。飲みに行く人、買い物に行く人。大人の対応というものですかね。来日の回数が増してくると、日本のこともよく理解したうえでそれぞれ自由な時間を過ごしていました」

映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも描かれたフレディを取り巻く人間模様に触れました。過去の来日時には、個人マネジャーとして知られたポール・プレンターさんや、元恋人のメアリー・オースチンさんを同行していた時があったそうです。

「私は、マスコミ対策や買い物に行くときにドライバーにお店を指示するのが仕事でした。買い物の時などは、メアリーさんやマネジャーさんは僕の視界に常に入るところにいましたね」

「仲のいい3人でした。でもメアリーさんが同行して来日したのは1回だけ。毎回、連れてくる人は違いました」

西武百貨店で「爆買い」

フレディと言えば、買い物。シンコーミュージックの資料室に残る写真にも、部屋いっぱいに買い物の包みが運び込まれ、フレディがその中心で写っている写真があります。

伊丹さんによると、お気に入りの百貨店は、東京・池袋の西武百貨店だったそうです。

「爆買いしていましたね。渡辺プロダクションの渡辺美佐さんと店長が案内していました。色々な店に同行しましたが、アンティークなものだけでなく、ふとんや火鉢といったものも買っていました。フレディは、前回来日したときに買って持って帰った荷物をまだ開けていないんだ、と言いながら、また買い物をしていました。何であんなに買うのかなと疑問でした」

フレディを身近で見てきた伊丹さん。長い付き合いの間に、フレディの外見も変化しました。

「ベートーベンみたいに長い髪の毛だったのが、短くなりました。でも、人間的なところに変化はなくて、僕に対する態度はほとんど変わりなく接してくれたと思います」

メンバー間の不仲や体調といった点については「気付かなかった」という伊丹さん。クイーン展の盛況を目の当たりにして、次のように語りました。

「生きていたらこんなことにならないと思いますよ。ファンの心理として。生きていたら、白髪頭でライブやっていたでしょうね。ローリングストーンズとか、ポール・マッカートニーのように」

ホテルから抜け出して東京タワー

クイーン展のオープニングイベントには、デビュー時から『MUSIC LIFE』(ミュージック・ライフ、休刊中)で取り上げた元編集長、東郷かおる子さんの姿もありました。

東郷さんは、1975年の初来日時、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの2人がホテルから抜け出し、東京タワーに行って修学旅行生らに囲まれてしまったエピソードを懐かしそうに話していました。

羽田空港には約2000人の女性ファンが詰めかけていましたが、ボディーガードを任された伊丹さんにとっての第一印象はちょっと距離感があったようです。

「フレディさんはシャイで人見知りでしたね。初来日のときは、1週間ぐらい口を聞いてもらえませんでした」

ところが、通訳を介して親しくなると、フレディはほぼ毎回、離日する際、カルティエの時計や、剣道をする伊丹さんには日本刀をプレゼントしてくれたそうです。

クイーン展では、その一部が当時の原宿や銀座での買い物時のオフショットとともに展示されています。

伊丹さんによると、「ファンが個別にサインをもらったり、写真撮影をしたりするのは一切ダメ」だったそうです。

一方、気さくにファンと触れ合うフレディさんの姿を伊丹さんは覚えています。

「フレディさんは、多くのファンが集まって寄ってくるのが好きで、うるさいことは言いませんでした。人数が少なかった時は、結構、写真撮影やサインに応じてサービスしていました」

出口に置かれていた募金箱

映画『ボヘミアン・ラプソディ』に対しては、「史実と違う」「フレディの最期まで描かれていない」など厳しい意見もありましたが、筆者にとって新鮮に感じたのは、1970年代や80年代前半に活躍したイギリスのロックバンドが今も世代を超えて人を引きつけているという現象そのものでした。

今回のコンサートツアー、北米では映画公開後まもなくスタートしましたが、日本は1年以上経っており、どこまで熱気が保たれるのか注目されていました。ふたを開けると、来日に合わせた展覧会の予約だけで2万人という記録を作ったクイーン。「ドラマやCMで知っていたけど、映画を見てファンになった」というミレニアル世代に多いライト層のファンの心もつかんでいたようです。

音楽的な成功をおさめ、解散の危機を乗り越えてライブ・エイドで再びクイーンという家族にみんなが戻りました。ただ、フレディはエイズウイルス(HIV)に感染し、発症。十分な才能を発揮できないまま、1991年にこの世を去りました。

その後、医学の進歩で発症を抑制する薬が開発され、患者の置かれた環境は劇的に変わりましたが、発展途上国などでは今も苦しむ患者が多くいます。

追悼コンサートがウェンブリー・スタジアムで1992年に行われた後、その収益をもとにロジャー、ブライアン、メアリー、ジム・ビーチの4人が中心になって「マーキュリー・フェニックス財団」が設立されました。財団では、発展途上国の若者への教育、感染防止、抗体検査の推奨のほか、女性への暴力や差別に反対する活動をしています。

クイーン展の出口には、財団に寄付するための募金箱が置かれています。募金箱の横の壁に、フレディの生前の言葉が記してありました。

「お金がなくてこの病気を患った人々を救済するのは神である」

映画やクイーン展のヒットを生んだ日本人のクイーン愛が試されているのかもしれません。