2月11日にさいたまスーパーアリーナ公演を終えたばかりのダンス&ボーカルグループDA PUMPは、ISSAさん、DAICHIさん、KENZOさん、KIMIさん、TOMOさん、U-YEAHさん、YORIさんの7人で活動してきました。メンバーの一人、DAICHIさんは「『U.S.A.』が最後のチャンスだと思っていた」と明かします。念願のヒットの後、番組収録で見せた突然の涙。こみ上げた思いは何だったのでしょうか? DA PUMPの「夢の叶(かな)え方」を聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・坂本真子)

「男も踊ったらかっこよくなれるんだ」

DAICHIさんは、幼い頃から身近にダンスがある環境で育ちました。母親がダンススタジオを営み、自宅ではダンス音楽や映像が流れていました。一方で、DAICHIさん自身は、ダンスではなく、同級生とサッカーで遊ぶのが好きな小学生でした。

「小さいときは、どうしても母親にやらされている感があって、すごく反発しました。生徒さんも男の人が圧倒的に少なかったし、あまりダンスを好きじゃなくて」

その気持ちが変わったのは、小学校3、4年生の頃。「DA PUMPっていうすごい子たちが現れたよ」と母親に言われ、テレビを見たときでした。

「男も踊ったらかっこよくなれるんだ、すごい、と思って、イメージが変わったんです。DA PUMPのデビュー曲『Feelin' Good -It's PARADISE-』に合わせてスタジオの発表会で踊ったのが、ダンスを始めた第一歩です」

小学校高学年のとき、母親に連れられて米ロサンゼルスへ。母も学んだ日本人の「師匠」にダンスを教わります。

「師匠はダンスのアカデミーでレッスンをやっていて、僕はそこでダンスの基礎を学びました。中学の2年間ぐらいは、3カ月LAに行って帰ってくる、という繰り返し。そのときのダンスの勉強が今もすごく役に立っていると思います」

中学時代には、競技スキーにのめり込み、長野県の雪山に毎年こもっていました。

「栃木県は山が多いので、1人でスキー板を担いで、山に行ってました。好きになったら、とことん行っちゃいます。そうやってハマるチャンスを与えてくれたのは母親で、ダンスに関しても、母親の後押しがなければ、ハマらなかったと思います。『中学に行かないならアメリカに行きなさい』みたいな感じで、母親に無理やり寮に入れられて、僕もNOと言わずになすがまま。でも、行ってみたらすごくいい環境で、本当に朝から晩まで1日中、ダンス一筋に勉強させてもらえたんです」

腰に異変「違う道に進もうと、本気で考えました」

理想的な環境でダンスに打ち込んでいたDAICHIさんですが、当時はまだダンサーとして生きていこうとは考えず、「ただうまくなりたい」と思っていたそうです。高校時代には、バックダンサーとして全国ツアーに参加するなど、ダンスの仕事をいくつもこなしていました。

ところが、18歳になって、腰に異変が生じます。

「ヘルニアになって、踊れなくなり、ベッドから起き上がることもできない日々が続いて、本当にしんどかったです。ダンスをやめて違う道に進もうと、本気で考えました」

レーザー手術を受け、復帰するまでに1年半近くかかりました。

ちょうどその頃、DA PUMPに誘われます。あと2カ月で二十歳になる、というときでした。

「迷いましたね。それまでは毎日踊っていたのに、ヘルニアでダンスから1年半離れて、また踊れるのかな、と。1度やめると決めていたところからのスタートだったので、再発したらどうしようか、とも考えました。ヘルニアは治らないと聞いていたので」

迷った末に2008年12月、DA PUMPに加入しました。

ヒットまでの10年間「いろいろ葛藤」

それからの10年間はヒット曲に恵まれず、グループで活動できない時期もありました。

「見ての通り、僕たちはここまで上がってくるのにすごく時間がかかりましたし、活動できない期間もあった中で、DA PUMPとしてのあり方をどうしていけばいいのか、日々考えました。どうしたらもっと求めてもらえるのか。少しずつでも前に進んでいれば、いつかチャンスはやってくるかもしれない。いろいろ葛藤をしながら、10年という歳月が過ぎていきましたね」

2018年6月に発表した「U.S.A.」で、DA PUMPを取り巻く環境は一変します。

「やっとスタートラインに立てたというか、DA PUMPとして1つの足跡を、僕ら7人で残せた、と思いました」

実はDAICHIさんは、「U.S.A.」を出す前、ある決意を固めていました。

「『U.S.A.』が最後のチャンスだと自分の中で思っていたので、これでうまくいかなかったら最後にしようと決めていました。20代はDA PUMPで過ごしたので、30代は違うスタートを切るのもありかな、と。30歳は体力もあるし、男として一番軌道に乗るべきときなのに、地に足がつかないような状態は良くないと思ったんです。同世代で頑張っている人が多いことも、自分の中ではプレッシャーになったし、いろいろ考えた時期でしたね」

「ISSAさんプラスダンサーみたいに……」

「U.S.A.」のヒットを受け、2018年7月末に放送されたNHKの音楽番組「SONGS」。それまでの歩みを振り返ったDAICHIさんが涙を流した場面は衝撃的でした。あの涙の理由は、何だったのでしょうか。

「『U.S.A.』が最後のチャンスだと思っていた、ということももちろんあります」とDAICHIさん。でも、それだけではなかったそうです。

「DA PUMPとして、それまではISSAさんプラスダンサーみたいに世間から見られていたし、加入して10年近くたっても『新メンバー?』と言われる日々が続いて、自分でも『DA PUMPです!』と名乗るのがつらくて、隠していた時期もありました。DA PUMPの名前が有名だからこそ、つらい部分はすごくあって、そのもどかしさというか、世間の目はすごくシビアな中で、『U.S.A.』というヒット曲が生まれて、DA PUMPは7人だということを知ってもらえたことがすごく大きかったし、うれしかったんです。以前は4人のイメージが強かったので、その中で僕も葛藤して、少しでもそのイメージを超えたいと思ってきたし、ほかのメンバーもそこに対してはいろんな思いがあるはず。そのつらさを誰にも言えない、言うことではない、というところで、いろんな感情があふれてしまったのかな、と思います」

「区切りとなるようなライブに」

2019年は、6月に日本武道館で2日間ライブを行い、秋はホールツアーで全国を回りました。

「僕らは、全国ツアーをして、みなさんに感謝を届けるライブをしたいとずっと目標に掲げていたので、すごくうれしかったんですよね」

次の目標は、と尋ねると、DAICHIさんは少し考え込みました。

「うーん………。昔から先のことを考えるのが苦手で、それよりは自分で把握できることを全力でこなしたいという性格なんです。1年後、5年後を考えるより、1カ月後、2カ月後の自分がこうあるべき、こうしていく、と考える方が、現実味がある。今はまず、アリーナツアーを7人で成功させることがすごく大きな目標です。今までで一番大きな会場なので、集大成ともいえる、自分の中でも区切りとなるようなライブにしたいな、と思います」

「ポジティブマインドが僕を支えてくれた」

最後に、今、夢をめざす10代〜20代に助言をするとしたら何と言いますか、と聞きました。

「僕は本当に真っすぐ、真っ向勝負で生きてきたので、何でも全力で楽しむべきだと伝えたいです。物事は何でも、考え方一つで変わってくるので、嫌なこともポジティブに、何でも全力で頑張ろうと思うことで、絶対に未来は明るくなる、何とかなると思って、僕は生きてきたので」

ライブでは、一番年下の天然キャラとして、いつも明るい笑顔で周りを和ませるDAICHIさん。普段も前向きに過ごそうと心がけています。

「ポジティブマインドというものが、つらいときもずっと僕を支えてくれたと思います。もちろん、折れそうになったときもありますけど、そんなときは、できなくても仕方がないと、自分の気持ちを切り替えればいい。同じような失敗を繰り返さなければいいんです。明日は違う自分ですから」

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2月11日のさいたまスーパーアリーナ公演では、満員の観客を前に、メンバー7人が心から楽しんでいる様子が伝わってきました。3月25日発売の新曲も初披露されました。

ライブ中盤には観客との掛け合いも披露したDAICHIさん。終演後に感想を寄せてくれました。

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さいたまスーパーアリーナを
見る側ではなく
見せる側になることができて
とてもうれしいです。

この景色を
皆さんの支えがあって見られたことは
自分にとって財産であり宝物です。

本当にありがとうございました。

YORIさん
改めて復活おめでとうございます。
隣にいると安心します!