【高校野球】《100年物語》米騒動で中止、敗者復活戦、日本刀の刃渡りで全国制覇へ…なんでもありの黎明期

【高校野球】《100年物語》米騒動で中止、敗者復活戦、日本刀の刃渡りで全国制覇へ…なんでもありの黎明期

〈印象に残った監督〉
スパルタ&精神野球で全国制覇。「広島野球」を育てた石本秀一【イラスト】

 1916年、1917年の大会には広島商の選手として出場した。その後、不甲斐ない母校の野球に憤怒して26歳のときに監督に就任。スパルタ式の猛練習と、日本刀の刃渡りなどで鍛えた精神野球で、完成したばかりの甲子園球場で行われた1924年夏に全国制覇を成し遂げる。「甲子園」の初代王者に輝いた。

 その後、1929、1930年に夏連覇、1931年にはセンバツも制し、史上初の夏春連覇を達成。“学生野球屈指の名将”とうたわれた石本は、1936年の阪神を皮切りに金鯱、旧大洋、旧西鉄、太陽、広島でプロ野球の監督も歴任。特に、地元である広島では初代監督を務め、球団史の礎を築いた。

〈知られざる球場秘話〉
競馬場の中に設置された2代目スタジアム・鳴尾球場

 第1回大会に続き、翌1916年の第2回大会も大阪府の豊中球場で開催された。だが、増え続ける観衆に対応することが難しくなり、1917年の第3回大会から、今の兵庫県西宮市にあった鳴尾球場(鳴尾運動場)に会場を移して開催された。この球場は、もともとあった鳴尾競馬場の中に設置されたもので、競馬開催時期には取り除けるように移動式スタンドが採用された。また、会期を4、5日で切り上げるため、東西に2つの球場が設けられた。甲子園球場ができるまでの7年間、中等学校野球はこの地で更なる成長を遂げたことから、「伸びゆく鳴尾」と称されている。

〈時代を彩った高校〉
史上初の連覇達成! 和歌山中の栄光時代

 大会史上初めて連覇を達成したのは、1921、1922年の覇者・和歌山中だ。朝鮮、満州という外地からの出場校も増え、17代表で争われた1921年の第7回大会を圧倒的な打撃力で制した和歌山中。翌年の第8回大会でも決勝戦に進出した。7回終了時点で0−4という劣勢から8、9回の2イニングで一挙8点を挙げ、大会史上初の連覇を達成した。翌1923年の第9回大会も和歌山中は決勝に進出したが、惜しくも敗れて準優勝。三連覇達成は叶わなかった。

〈世相・人〉
野球文化の発展に大きく寄与した、岡本一平の“爆発力”

 甲子園にまつわるトリビアとして有名なものに、「甲子園の『アルプススタンド』を命名したのは岡本太郎の父、岡本一平」というものがある。朝日新聞記者でもあった岡本氏が、甲子園球場を埋めた白シャツの群衆を見て、そう命名したとも、息子である太郎氏が「アルプスみたい」と言ったのを拝借したとも、諸説語り継がれている。

 だが、岡本一平は甲子園球場が誕生する遥か以前、1917年の第2回大会から、朝日新聞紙上において漫画記事を掲載し続け、毎回好評を博していたことはあまり知られていない。たとえ「アルプススタンド」と命名しなくとも、野球文化を紡いだ偉人であることには違いがないのだ。
(文=オグマナオト/イラスト=横山英史)


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