山形大医学部トップとして県内医療界をけん引してきた嘉山孝正山形大医学部参与(70)は25日、山形新聞の取材に対し、今月末で同学部の職務を全て退き、県内の医師配置を調整する蔵王協議会の会長職も辞する意向を明らかにした。東北・北海道で初となる重粒子線がん治療施設誘致をはじめ数々の功績を残し、本県医療界の第一線から離れる。以下は一問一答。

 ―この時期に山形大を離れる理由は。

 「(教員の勤務期限を満70歳とする)大学の規程により退任する。山形大医学部東日本重粒子センターの名誉センター長、国の研究費で活動している分子疫学研究『県コホート研究』の主任研究者を除いて医学部の管理、運営に関する仕事を全て辞する。東北大から山形大に来て26年間お世話になったので、請われればいつでも力になりたい。新学部長、新病院長に期待している」

 ―特に力を入れてきたことは。

 「患者中心の医療を提供するため、大学病院でさまざまな仕掛けを実践してきた。本県の誇りとするため重粒子線がん治療施設の誘致に動いた。学内試験の臨床実習資格判定に合格した医学科4年生に与える認証制度『スチューデントドクター制度』は2009年に創設した。学生は4年次から患者の診療などに携わり医師としての総合的な能力や心構えを身に付ける。後に全国約80の医学系大学で組織する全国医学部長病院長会議が医学部共通の認定制度に採用し、全国の標準となった」

 ―県民のための医療に注力した。

 「昨年11月に本格稼働した『がんゲノム(全遺伝情報)医療拠点病院』の取り組みや、がん患者の治療方針を院内チームで検討する会議を導入した。患者の入院手続きに一元的に対応する総合窓口『医療コンシェルジュステーション』の開設もその一つだ」

 ―山形大医学部の関連病院を中心とした医師の適正配置を担う蔵王協議会を02年に立ち上げた。狙いは。

 「若い医師も、医師を送り出す教授も、医師の派遣を受ける病院も、全てが納得した上で適正に配置することを目指した。これまで常にオープンな場で医師の配置を決めてきた。システムがしっかりとした形になったため次の総会で正式に会長職を辞する考えだ。『脱医局人事』を実践する宝といえ、蔵王協議会はなくならないだろう」

 ―今後は。

 「日本医師会会長特別顧問や国立大学医学部長会議相談役なども引き続き担う。医療、看護を扱う東京都内の大学から学事顧問のポストを要請されている。11年の東日本大震災を契機に発足した国の被災者健康支援連絡協議会では事務局長を務めている。地震や豪雨などの災害被災地に対して医師や看護師といった医療人材を派遣してきた。震災後に岩手県大槌町を訪れたことがある。退職後は知人に会いに行きながら、ゆっくり三陸地方を回ってみたい」

 【かやま・たかまさ】1950(昭和25)年生まれ。東北大医学部卒。96年に山形大教授、2003年に同大医学部長。10年から2年間、国立がん研究センター理事長を務める。12年に同大学長特別補佐、15年4月から医学部参与。日本脳神経外科学会理事長などを歴任した。神奈川県出身。