25日に行われた大相撲の新大関・朝乃山の記者会見の内容は以下の通り。

■朝乃山

――昇進おめでとうございます。

 「ありがとうございます」

――緊張はしたか。

 「はい。緊張しました」

――大関昇進の実感は。

 「少しずつ実感が湧いてきています」

――口上にはどんな決意を込めたか。

 「(母校である富山商業)高校の教育目標を入れたくて、『愛と正義』を分けて言い、中学校から使っている『一生懸命』を入れました」

――一生懸命という言葉を使い始めたきっかけは。

 「中学校は相撲部に入り、何事にも一生懸命に取り組むことを決意して、(口上に)決めました」

――口上はいつ考えたか。

 「昇進が決まった時に、使おうかなという思いはありました」

――その時から「愛と正義」「一生懸命」という言葉は胸の中にあったか。

 「『愛と正義』を入れようかな、と昇進が決まった時にもう思っていました」

――口上の内容は誰かと相談したか。

 「後援会の人と話をして決めました。練習しすぎると硬くなるので、あまり練習しないようにしました」

――使者を迎える前は緊張しているように見えたが、口上はスムーズだったのでは。

 「そうですね。発言するからには自信を持って発言しました」

――富山県出身の大関昇進は、元横綱の太刀山以来、111年ぶり。

 「大横綱の太刀山さん以来なので、少しでも太刀山さんに近づけるように頑張りたいです」

――朝乃山関が富山県の大相撲の歴史を埋めているようなところがあるのでは。

 「大学を卒業してプロ入りしたからには、てっぺんを目指していくと決意しましたので、富山県の小さい子たちに目標にしてもらい、プロに入ってもらうのが、また一つの夢です」

――入門して4年で大関昇進というスピードは。

 「こんなに早く大関になれるとは思っていませんでした」

――大関昇進につながったことは。

 「去年5月(の夏場所で)、初優勝した時に自信ができたので、そこからだと思います」

――両親も隣にいるが(会見に同席)。

 「横にいるのは、ちょっと恥ずかしいです」

――大関昇進の運びになり、両親に報告はしたか。

 「(千秋楽)パーティーの時に会って、『おめでとう』と(声をかけられ)握手をしました。(両親は)少し笑顔でした」

――初土俵、新十両などの節目は大阪場所。どう感じているか。

 「本当に何が起きるかわからないので、色んな巡り合わせだなと思いますね」

――富山商高時代の浦山英樹監督、近大時代の伊東勝人監督。亡くした二人の恩師に心の中で伝えたことは。

 「おかげさまで大関に上がれましたと言いました。あとは、これに満足せず、さらにもう一つ(上の)番付があるので、そこを目指して頑張りますと言いました」

――どんな大関になりたいか。

 「プロやアマチュアの人たちに尊敬されるような、目標とされるような大関になりたいですね」

――これまでの大関の伝達式の映像を参考にしたか。

 「色んな方々の口上を見ました。去年の大関貴景勝関、横綱鶴竜関とかを見ました」

――大関と呼ばれることはどうか。

 「まだ慣れていないんですけど、大関って言われるからには看板力士ですし、協会(の看板)を汚したくないという思いがあるので、しっかり言動をしていきたいです」

――師匠の高砂親方(元大関朝潮)の大関昇進時と同じ「一生懸命」という言葉を使ったことに意識はあったか。

 「いや、意識はないです」

――両親が隣にいて、どんな感情がこみ上げてくるか。

 「高校生までしっかり育ててくれて、ここまで育ててきてくれたので、本当に感謝しています」

――親方への思いは。

 「プロに入ってから親方に指導をしてきてもらい、大関という地位までのぼりつめられたので、親方もあともう少しで定年なので、少しでも期待に応えていきたいですね」

――歴史ある高砂部屋に対する思いは。

 「伝統のある高砂部屋に入れましたので、部屋頭ですし、ちゃんと責任をもって行動したいです」

――今後、部屋をどういう風にしていきたいか。

 「これから新たな歴史を作っていきたいです」

――太刀山についてどう感じているか。

 「太刀山さんは、小学校の時に少ししか勉強していないんですけど、プロに入って(相撲)教習所に通いながら大横綱のことを勉強しましたし、少しは太刀山さんに近づいているなという実感もあります」

――朝乃山というしこ名へのこだわり、師匠の朝潮というしこ名への思いは。

 「朝乃山の『山』は色んな思いを込めた『山』なので。朝潮という名前は本当に偉大なしこ名だと思いますし、簡単にもらえる名前じゃないと思います」

――朝乃山というしこ名にこだわり続けたいか。

 「親方が変えろというなら変えますし。親方も変えさせたくないというのを聞いたので、もうちょっと朝乃山でいきます」

――夏場所に向けてどう過ごすか。

 「体作り、基礎をしっかりして、番付発表に向かいたいです」

――夏場所の目標は。

 「優勝争いに加われるようにしていきたいです」

――白鵬関が「私の後継者となって相撲界を引っ張っていってくれる存在なのかもしれない」と発言した。どう受け止めているか。

 「うれしいですね。そういう言葉をいただいたので、しっかり右四つを磨いていきたいです」

■師匠の高砂親方(元大関朝潮)

――おめでとうございます。

 「ありがとうございます」

――自身の大関昇進と同じ場所で、師匠として使者を迎えることになった。

 「この部屋で私も使者を迎えて。5代目の(高砂)親方と一緒に。こういう会見したのをうっすらと覚えています。同じ所で、大学も後輩です。そういう意味では良かったんじゃないかなと思います」

――師匠から見て、口上は。

 「100点満点ですよ」

――アドバイスはしたか。

 「一切していません。自分も5代目の親方にそういうことはあまり言われなかったものですから。同僚や先輩に色々アドバイスをもらいながら自分なりに考えて言った覚えがあります」

――入門して4年で大関昇進というスピードは。

 「やっぱり、みるみる体が大きくなっていきましたね。よく稽古をしたと思います。優勝した(昨年夏)場所は今でも覚えているんですけど、初日、2日目と左の上手を早く取って右を差す相撲がとれていたんです。『ああ、今場所はそこそこ勝つな』という感覚を持ちましたね。それは本人が一生懸命稽古したたまものだと思います」

――優勝は飛躍の大きなきっかけだったか。

 「きっかけだと思います。それもアメリカ大統領杯というのをもらっているわけですしね。本人にとっても大きな自信になったと思います」

――看板力士となって求められるものは。

 「強くなれば強くなるだけ注目度は増えるわけですし、色んな人から見られることが多くなるわけです。立ち居振る舞い、自分の行動には責任を持つということ。常々、弟子たちにも言ってるんですけれども、『日本相撲協会、高砂部屋っていう看板を背中にしょって歩いているんだ。その看板をよごしたり、けがしたりすることは絶対にしちゃいかんぞ』と。朝乃山もそのへんを考えてやってくれると思います」

――師匠の大関昇進時の口上と同じ「一生懸命」という言葉を使った。

 「それは結果論でしょう。それを使えといった覚えもないし、本人も意識して喋ったとも思えませんしね」

――高砂部屋には歴史がある。

 「現役時代は、あまり高砂部屋というのは思わないかもしれないですけれど、高砂という親方になってみると、そのすごさや歴史を感じます。それを継承して、次の人にバトンタッチしていくことが自分の仕事だと思っています」

――今後の高砂部屋をどういう風にしていきたいか。

 「私はもうすぐ定年だから。朝乃山が強くなるのをそばで見ていますよ」

――師匠の「朝潮」というしこ名については。

 「朝乃山というしこ名、英樹という名前も色んなもの(由来)があってつけてもらって、大関に上がったわけだから、私はこの名前を大事にしていった方がいいと思います」