伊藤博文に宛てた大久保利通の書簡(1874年2月10日、佐賀城本丸歴史館蔵)。「一打を以叩キ付」などと、激しい言葉がつづられている=佐賀市の佐賀城本丸歴史館

江藤をさらし首にする判決が出た後の「大久保利通日記 八巻」(写し、国立国会図書館蔵)。「江藤醜体笑止ナリ」と記されている

江藤新平のシルクハット(江藤家蔵)。裏地に「江藤」の墨書きが確認できる

江藤との親交を記した「木戸孝允手記」(1868年、宮内庁書陵部蔵)

高知県で捕縛された江藤が捕縛隊長の細川是非之助に書き与えた書「郭公待かねて」(右側、高知県立歴史民俗資料館蔵)。“絶筆”の一つで、県内では初めて公開された=佐賀市の佐賀城本丸歴史館

 佐賀の七賢人のひとりで、明治政府の初代司法卿を務めた江藤新平(1834~1874年)の没後150年特別展「江藤新平~日本の礎を築いた若き稀才の真に迫る」が、佐賀市の佐賀城本丸歴史館で開かれている。

 江藤は初代司法卿として、国民の権利を守るために近代的な裁判制度を導入したほか、三権分立に基づく国家制度の設計、民法などの法典の編さんを手がけた。佐賀の乱(佐賀戦争)の首謀者として処刑されたが、近年の研究では江藤に反乱の意図はなく、政府内の権力争いから戦争に巻き込まれた過程が明らかになってきている。

 特別展は江藤の功績に光を当てるとともに、佐賀の乱を政府側から捉えた「乱」ではなく、中立的な「戦争」に位置付ける試み。新たに発見された江藤の“絶筆”とみられる書「郭公(ほととぎす)声待かねて」や、岩倉具視から国家制度設計を頼まれた江藤が「三権分立」「司法権の独立」を盛り込んで提出した答申書などを展示している。

 このうち、江藤を刑死に追い込んだ大久保利通が伊藤博文に宛てた書簡は初めて公開された。佐賀の乱で武力衝突が起きる前の手紙だが、「いまこのタイミングで一打をもって佐賀をたたかなければ、明治政府の威光を示すことはできない」としており、当初から武力行使に踏み切る構えだったと分かる。

 また、明治の元勲の一人で長州藩出身の木戸孝允(桂小五郎)の手記には、江藤との親交が記されている。幕末に脱藩して京都へ向かった江藤を世話したことや、木戸の推薦で江藤が明治政府に出仕し、戊辰戦争の「軍監」に任じられたなどの記述がある。

 特別展を企画した藤井祐介学芸員は「先に政府軍が派遣されたため、やむなく佐賀側は応戦せざるをえなかった。江藤は佐賀戦争での死が強調されがちだったが、そのイメージを変える資料を集めている」と解説している。(古賀史生)

 ▼没後150年特別展「江藤新平~日本の礎を築いた若き稀才の真に迫る」は5月12日まで。観覧無料。

 【関連イベント】記念シンポジウム「稀才・江藤新平の真に迫る」は4月29日午後1時半から、佐賀市の県立美術館ホールで。パネリストは藩政史研究家の大園隆二郎さん、武雄市歴史資料館アドバイザーの川副義敦さん、大倉精神文化研究所研究部長の星原大輔さん、佐賀城本丸歴史館学芸員の藤井祐介さん。

 歴史館ゼミナール「江藤新平、日本の礎を築く」は3月30日午後1時半から、県立美術館ホールで。藤井学芸員が解説する。問い合わせは同館、電話0952(41)7550。