母の日のためのピンクのカーネーションの上面図

子育ての大変さに障害の有無は関係ない――障害を抱えた子どもを育てる母たちが考えていること

2020/04/28

ある日突然、障害を持つ子どもの母になったら。生まれた我が子に障害があると知ったとき、または生まれる前に我が子に障害があるかもしれないと知ったとき、どのような気持ちでどのように受け入れ、どのような子育てが始まるのでしょうか。

さまざまな葛藤を抱えながら、障害を持つ子どもとの日々を過ごす2人の女性に、率直なお話を伺いました。
(取材・文/みらいハウス 片岡綾)

泣きながら抱っこする日々が続いた――矢澤博美さん

パステルカラー夏青空抽象または自然な水彩画の背景
NaokiKim/gettyimages

最初にご紹介するのは、難病に指定されている「アイカルディ症候群」の娘、佑奈ちゃん(7歳)を育てる矢澤博美さん。佑奈ちゃんに障害があるとわかったのは、生まれてから2カ月経ったころだったそうです。


「2013年3月に出産しました。妊娠中は順調でしたが、出産後、娘にけいれん発作があり、検査の結果、アイカルディ症候群と診断されました。医師からは『脳のほとんどの部分が壊れています。点頭てんかんもあり、対症療法として内服薬である程度発作をコントロールしていくことになります。また、目は両方見えていないと思われます』と説明を受け、泣きながら抱っこする日々が続きました。

ですが、あるときふと、病気がわかる前と後でこの子は何か変わったのだろうか?と考えてみたら、まったく変わっていないことに気づきました。私が『かわいそう』って言いながら育てたら娘自身が『自分はかわいそうな子なんだ』と思ってしまう、と気づいたとき、パッと気持ちを切り替えられたんです」

――佑奈ちゃんは、24時間人工呼吸器を使用していて、胃から直接栄養を摂取する胃ろうもしています。佑奈ちゃんを育てるうえで、どんな点に注意をしているのでしょうか。

「私の場合は、1人目の子を臨月で死産しているのが大きいのかもしれません。その子の時は、看護師さんが私の初乳を取って、口のところにちょんちょんとつけるくらいで何もできなかったんです。それなので、佑奈は生きていて、お世話ができることが幸せです。

入院中に娘を世話するための様々な手技を習ったときは、人工呼吸器の管理の仕方や、喀痰吸引、胃ろうからの栄養注入など、覚えることがいっぱいあって、それが大変でした。決められた摂取カロリーの経腸栄養剤をボトルに入れて準備して、注入が終わるとボトルを洗って、殺菌もします。それが1日6回。1日中準備と片付けをしているような状態で、もちろん他にもやることはたくさんあるので、何かを簡略化できないか……とはいまでも常に考えています。乳児だったらいつか終わるけど、(佑奈ちゃんの場合は)一生続くので」

多くの人と関わり「こんなに温かい人たちがいるんだと驚きました」

佑奈ちゃんとの暮らしには、多くのケアが必要です。はたから見れば、やるべきことの多さに「とても大変だな……」と思わざるをえないですが、博美さんには佑奈ちゃんとのコミュニケーションを楽しむ「ゆとり」があります。


「自分では体を動かすことができないので、3時間ごとに姿勢を変えたり、寝たきりの辛さを取ってあげたいと思ってマッサージをしたりします。時折、佑奈が朝4時頃に起きていることがありました。訪問看護の方に伝えたら『体が痛くて眠れなかったのかもね』と教えられました。夜中も時間ごとに起きて体位交換ができればいいですが、私はなかなか起きられません。自動で体位交換ができるベッドも開発されているので、今後はそういったものを活用できないかと考えています。

今は、毎日訪問看護の方に来ていただいて、入浴を手伝ってもらっています。用事がある時は、訪問看護さんに見てもらっている間にさっと出掛けたり、最長1週間預けられる短期入所もあるので、自分の趣味の時間を持ったりして、気分転換もしています。そのお蔭で、心にも体にもゆとりを持つことができ、佑奈が喜びそうな遊びを一緒にやってみたり、いろんな世界を見せてあげようとお出掛けしたりできます。日々の暮らしでいっぱいいっぱいだと、そこまでなかなか手が回りません。」

――とても前向きで「佑奈ちゃんを育てていて楽しい」という博美さん。どんなところに、とくに楽しさを感じているのでしょうか。

「佑奈にはお兄ちゃんがいます。2人の成長が全然違うから楽しめるのかもしれません。佑奈の成長はゆっくりだけれど、今までは見せなかった表情を見せたり、ちょっとずつだけれど変化があるから楽しめます。

例えば、佑奈は目をつぶっていても起きていることがあります。それを分かってくれている人の前では目を開けますが、起きているのに『眠っているね~』という人の前では目を開けず、寝たふりをします(笑)。

お兄ちゃんが小さい頃は児童館に遊びに連れて行ってスタッフさんと関わる程度でしたが、佑奈は、医師、社会福祉士、理学療法士、作業療法士、保育士、看護師、通園の支援員さんなど、関わる人の数が桁違いで、それが本当にありがたいし、人の温かみを知ることができました。私自身、障害児の世界は無知でしたから、そもそも『障害のある子はかわいがってもらえるだろうか』と不安に思うこともありましたが、こんなに温かい人たちがいるんだと驚きました。

また、自分だけで何とかしようとせず、周りを頼って手助けしてもらうこと。時には弱音を吐いたり、たわいのない話で笑い合えるママ友や仲間の存在。これが楽しく子育てができている大きな理由だと思っています。障害のあるなしに関わらず、そこは子育てに共通する気がしますね」

――最後に、博美さんが佑奈ちゃんを育てるうえで、課題だと感じていることについてお話してもらいました。

「私が住む市は、重症児が通える場所が3箇所あり、恵まれている方ですが、高校卒業後に通うところが足りないので、『卒後難民』になると言われています。佑奈が、一人の人間として社会に根付いて、生きている実感を持てるような生きかたができ、生涯、いろんな体験をしていけるよう、道をつくりたいと思っています」

ブレない夫の強さに助けられて――金川恵里さん

森の新鮮な緑
SB/gettyimages

続いて、ダウン症で脳性麻痺の長男、好誠くん(7歳)を育てている金川恵里さんにお話をお聞きしました。 恵里さんは、妊娠が分かったときから、「お腹の子には障害があるかもしれない」という予感があったそうです。


「7カ月の妊婦健診の時に、エコーをしていた医師から『口唇裂が見られます』と告げられました。その矢先、今度は胎児の肺に水が溜まっていることが判明。胎児治療するための検査の結果、染色体異常のため、胎児治療は難しく、産後に治療するしかないということでした。

口唇裂、胸水、ダウン症、ダウン症から来る合併症の可能性もあり、手術も出来ないという次々に明らかになる現実に私は押しつぶされそうになり『出産したくない』という思いを隠せませんでした」

「こうちゃんの手と足になろうと思っていたけれど、目にもならないといけないな」

「出産したくないという思い」を抱えたまま出産した恵里さん。しかし出産後、その気持ちは大きく変わりました。


「出産後、息子を初めて見たとき、全身が真っ赤でむくみがすごくて、でも、かわいくてかわいくて……会った瞬間に『この子を守る』と考えが変わりました。

その後、NICUで治療が進む中、脳内出血を起こし、麻痺が残りました。さらに目が見えません、と言われ愕然としました。夕方帰って来た夫に伝えたら、彼はグッと涙をこらえながら『こうちゃんの手と足になろうと思っていたけれど、目にもならないといけないな』って。そんな夫のブレない強さに助けられることが多かったです。それから初めて抱っこできたのは、産後49日目のことでした」

「我が子は我が子、そしてかけがえのない宝もの」

恵里さんは、その後2回目の出産を経験しています。障害児を持つ夫婦で、2人目を欲しいと考える人は多いそうです。


「もう1人欲しい、という欲が出てきました。『ママって呼ばれたい』『一緒にご飯を食べたい』『かけっこしたい』。つまり、当たり前の子育てがしたかったんです。好誠を育てることに前向きになったとは言え、周りの子はずり這いを始めたり、離乳食を始めたりしている。他の子どもたちを見て、うらやましかった。第二子も障害を持って生まれる可能性はありましたが、それでも欲しかった。

次男のおかげで、いまはいわゆる「普通の育児」を淡々と味わうことができるようになりました。そして「子育ての大変さに障害の有無は関係ない」……次男が生まれてからそう思えるようになりました。

1人目が障害児で、2人目を欲しがっているお母さんはたくさんいて、話をすることもあります。「上に障害児がいるのに、よく子どもをつくろうと思うよね」と心無いことを言われたこともありますが、人がどう思うかは気にしなくていいと思うようになりました。我が子は我が子、そしてかけがえのない宝ものだからです」

安心して子どもを託せる社会に向けて

恵里さんが好誠くんを育てるうえで大変だと感じるところは、どんなところなのでしょうか。


「正直言って、医療の力を借りないと生きていけない!特に小さい頃はよく体調を崩したし、順調でいる時間が長く続きません。ただし、24時間365日、ケアをしないと生き延びていけないことに対しては大変だと感じていません。『こうちゃん、歩きたいだろうなあ』などなど、考えてしまうこともあって、それをさせてあげられないのが辛いと思うことはありますが」

――一方で、恵里さんが好誠くんを育てるうえでの楽しさも多くあります。

「『満面の笑顔を見せてくれるとき』。これに尽きます。好誠の本気の声と表情をくみ取りたいと7年間取り組んできた結果、話ができなくても通じ合えることが増えてきました。特別支援学校の先生は、こうちゃんを知りたいと観察し、関係性を築いてくださいます。ダウン症、脳性麻痺の子ではなく、好誠として、向き合ってくれていることが大変ありがたいです。

また、多くの葛藤や不安を乗り越えられているのは、こうちゃん本人の健気に真っ直ぐに生きる力、家族、多くの方々、そして、矢澤さん始め、出会ったママたちのお蔭で現在があると思います」

――最後に、恵里さんが好誠くんを育てるうえで、課題だと感じていることについて話してもらいました。

「私の住んでいる市は、放課後に行けるところが少ないので、夏休みや冬休みも家にいることが多くなります。親亡き後のことも課題は山積みです。安心して子どもを託せる施設を作りたいと思っています。『全国重症心身障害児(者)を守る会』に入っていますが、先輩ママから、昔は障害のある子どもを部屋の奥に隠したり、一緒に外出することはマレだったという話も聞きます。今は、社会も育ってきているし、受け入れ態勢も整ってきている。それをラッキーと受け止めるだけでなく、先人のご苦労を受け止めながら次代に繋いでいきたいです」

取材を終えて

▲矢澤さん(写真左)と金川さん

今回、重症心身障害児を持つお2人の女性にお話をお聞きして、筆者自身の中に“障害児を育てるのは大変だろう”と勝手な思い込みがあったことに気づきました。

「自分だけで何とかしようとせず、周りを頼って手助けしてもらうこと」という博美さんの言葉や、「子育ての大変さに障害の有無は関係ない」という恵里さんの言葉に、子どもと心を通い合わせて、少しずつ親子になっていくという意味では、健常児も障害児も、まったく同じものなのだと気付かされました。


◆取材・文/みらいハウス 片岡 綾
東京・足立区にある育児期の女性支援拠点「みらいハウス」のライティングメンバー。「食べるために生きる」をモットーとし、食関連の執筆を中心に、女性のエンパワメント活動などに取り組んでいます。1児の母。

構成:サンキュ!編集部

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