「命仕留める行為、慣れない」 くくりワナ猟師・千松信也さん 映画「僕は猟師になった」に込めた思い

By 真下 周

 自分が食べる肉は自分の手で調達する―。京都市北部の山で20年にわたり、シカやイノシシのワナ猟を続けている千松信也さん(45)の生活を追ったドキュメンタリー映画「僕は猟師になった」(2018年放映のNHK番組に追加取材するなどして映画化、川原愛子監督)の全国上映が始まった。 ひとり山に分け入り、直径12センチのくくりワナを仕掛けて、野生動物と駆け引きをする。命を仕留める瞬間に放たれる悲鳴と血しぶき。こうしたシーンがタブーなく収められている。映画で伝えたい真意とは何か。千松さんに聞いてみた。(共同通信=真下周)

映画「僕は猟師になった」のシーンから

 ―ご自身を取り上げた映画を見た感想は。

 自分の猟の様子を映像としてたくさん見たのは今回が初めてだった。思った以上に自分の動きが悪く「どんくさいな」と(笑)。もっとイノシシ相手に俊敏に動けていると思っていた。

 ―密着取材を受けた理由は。

 他のテレビでも取り上げられたことがあるが、できあがった作品に納得できなかった。伝えたい人が伝えたい部分だけを切り取っていた。命を奪うシーンがカットされたり、コマ切れでつなぎ合わされたり、都合のいい物語になっていると感じた。 今回、NHKディレクターの川原さんから、ありのままの僕の暮らしや山との関わり方などを映像化してみたいと言われ、彼女の熱意にも負けて引き受けることにした。

 ―最も印象的なのは(ナイフでとどめを刺した時の)シカの鳴き声と、目を伏せて絶命をじっと待つ千松さんの表情。映画を見る人には感じるものがあるはず。

 僕自身がどういう振る舞いをしているか、よく分かっていなかった。自分は基本的に淡々とやっているつもり。そういうのを含めて、映像に出してもらいたかった。生き物を殺して捕って食べるのは、猟も釣りも変わらない。でも体温や鳴き声は、やはり魚とは違う。向き合うといろんな感情が出てくる。皆さんに生きている存在、その命を奪うということが分かりやすい形で伝わっているかもしれない。

インタビューに答える千松さん

 ―都会の近くにあのような生活があることに驚く。

 京都市街は東山、北山、西山に囲まれている。僕が住んでいるのは北山エリアで、街と山の境目のあたり。よく「(京都府南丹市)美山町ですか?」と聞かれるが、もっと街に近い。だいたいのイメージでは大原とか鞍馬のあたり。市内からちょっと出れば行ける山手にある。

 ―千松さんは「またぎ」のような伝統的な生業としての猟師ではない。ご自身はどういう位置づけか。

 またぎは特殊な集団。独特の儀礼を引き継いでいる。巻物があったり、山言葉があったり。それとは別に、日本に連綿と続く狩猟文化は各地にさまざまある。伝統儀礼というより、それぞれの地域で捕りやすい獲物をやり易い方法で捕る技術のこと。僕は京都で続いてきたワナ猟、(スズメなどを捕る)網猟の文化の中にいる1人に過ぎない。

 自分もそうだが、日本で狩猟をやっている人はほとんどが別の仕事を持ちながらだ。主力は60歳以上が多い。自営業が多いけど、鉄砲の人は、サラリーマンをしながら土日を中心に山に入る人もいる。

 食料のために狩猟する人はごく少数で、昔からそうだった。海外のように獣肉を食べる文化はそこまで盛んじゃなかったから。毛皮やクマの胆のうが高く売れた一時期を除けば、職業として猟をやっている人は少ない。

自宅の作業小屋でイノシシを解体する千松信也さん=2009年12月、京都市

 ―ワナ猟を選んだ理由は。

 シカ、イノシシの獣害が増え、ワナ猟は最近、普及してきている。鉄砲猟はハードルが高い。農家が自衛手段としてやるワナ猟が増えている。僕が猟を始めた20年前は鉄砲がメインで、ワナ猟は少数だった。

 この辺りの鉄砲猟は9割方がグループ猟になるため、誰かと協力しつつ、片方が犬を使って獲物を追い出し、片方が待ち構えて撃つというスタイルがほとんど。

 でも僕は山に入ってまで他の人間とコミュニケートしたくはないと思った。自分のペースで山に入り、動物と向き合いたかった。集団で獲物を追い立てて捕ることに興味がなかった。一人で完結し、責任を全て自分で負うスタイルが性に合っていた。

 ―使うのはくくりワナ。

 僕が使っているワナはワイヤや塩化ビニール管を使っているが、これは原始的な道具だ。工夫さえすれば、切れない丈夫な繊維とか、よくしなる木とか、自然にあるものを使ってつくることもできる。鉄砲は文明技術の結晶だけど、そんな強力な道具を使わなくても、原始的な道具で獲物が捕れることに魅力を感じていた。

 ―ワナ猟は子どもの遊び心もくすぐるらしい。

 小さい子らがワナ好きなのは、その通り。肉の解体も興味を持ってくれるけど、「ワナでこうやったら絞まる」「パチンとはねる」とか、ワナの仕掛けを教えたら、めちゃめちゃ興味を持つ。息子が保育園に通っていた時も、「あの千松君のお父さんは猟師やで」とみんな知っている。お迎えに行くと、縄跳びをわっかにして、道に置いて待っている。「小太郎君のお父さん、小太郎君はあっちにおったでー」とか言って、猟師を捕まえようとしている(笑)。

イノシシを箱わなにおびき寄せるため、米ぬかをまく次男の佐路くんと千松信也さん=2020年1月、京都市

 ―猟場に撮影用に仕掛けた赤外線カメラには夜間、動物たちが忽然と姿を現し、周囲の気配に神経をとがらせながら移動するシーンが映っている。

 僕はあんなに(じっくりと)イノシシを見ないから、ある意味、面白かった。あくまで痕跡から動きを想像しているだけなので、自分の猟場のイノシシがここまで映像で見られたのは大きい。ただ、カメラをしかけたことでイノシシが来なくなるなど、いろいろ大変だった(笑)。 いろんな場所にカメラを設置したけど、獲物がカメラを見てダッシュで逃げるシーンもいっぱい映っている。赤外線は動物には見えず、動作音もないはずだけど、何かを察知して逃げる。ワナ自体にも警戒するから、余計に警戒心が強くなって、散々逃げられた。

 でも、これだけしっかりと撮影してもらう以上は覚悟を決めていた。ある意味、実験と思った。これぐらいの数の人が来たらイノシシはどう動くか。カメラをこのように設置したら嫌がるのか。彼らの習性を確かめることができた。

 ―生き物を殺すことは、どれだけ狩猟経験を積んでも慣れないものか。

 猟を始めてしばらくの間は、もうちょっと慣れるものと思っていた。でも思った以上に慣れない。年間に何十頭も捕らないし、仕事、業としてやっていないからかも。

 個別の動物には思い入れもある。仕留める時に、その目を見ながら、僕や僕の家族が食べるのに必要な肉になってもらう、という思いが常にある。知恵比べをしながら、下手すれば2カ月も追い込んだ末に捕れたケースもある。随分そいつと親しくなって、性格まで勝手に決め込んだりしてね。「どんくさいけど、ぎりぎりでかわすやつ」とか、なんとか。捕れたらうれしいけれど、「おまえ、とうとう捕まっちゃったな」みたいな気持ちも混ざって。

 特にシカもイノシシも、人間と同じくらいの大きさの哺乳類。自分はこれまでに数百体は殺してきたけど、「自分が何百頭も殺して生きるに足る人間か?」というのは考える。考え出すと切りがないが、自分の性格もあり、分かりやすい結論を出すのでなく、常にそんなことを考えながら猟を続けていくのだと思う。

インタビューに答える千松さん

 ―普段の生活でスーパーの肉を買うことは?

 それはありますよ。鶏肉はよく買う。特に鶏は、うちでは卵用に飼っているだけ。飼っている動物を殺すのは苦手(笑)。山でドドドッと突進してくるやつはスムーズにいくけど、コッコッコと寄ってくるのを「今日はちょっと違うんだ」と言って刺すのは…。

 独身のころはシカとイノシシの肉だけで暮らしていた時代もあるけど、自分で捕った肉だけで暮らすとなると(生活は)しんどくなる。別にポリシーや主義があって、自給自足で生きていく崇高な暮らしをしたいわけじゃない。普通に現代に生きている一人の人間です。その中で狩猟という営みを自分の生活に都合よく取り入れている。

 イノシシのかたまり肉はブロックで冷凍保存している。それを解凍したりスライスしたりする暇がなかったら、スーパーで豚肉を買う。仕事中に寄った定食屋では唐揚げ定食を食べる。全然こだわりはない。

 ―畜産動物との肉質の差について。

 いや、まぁとにかく家畜の肉は安定している。いつ食っても同じ味。柔らかさも一緒。例えば、イノシシは今回の映画でも30キロ、60キロといろいろなサイズがある。捕れた時期によって脂の乗りも全然違う。売られている豚は全て生後6カ月で110キログラムまで大きくして、出荷する。イノシシで生後6カ月だと、30キロにしかならない。この段階で食べたら柔らかくておいしく食べられる。肉が分厚くても、かみ切れる。ところが実際に110キロまで育てたイノシシをトンカツにして食おうものなら、かみ切れない。

 日本人は野菜や魚に関しては「旬が大事」と言う。魚であれば出世魚と言い、季節に敏感だ。でも肉に関してはそれが一切ない。厳密に言えば、畜産関係者でも「冬の方が豚肉はうめえよ」と言う人はいるが、ほとんど味に違いはない。同じ品質で買える。でも野生の肉は、海のものと同じ。イノシシ、シカも旬の季節があり、脂がよく乗る時期があれば、赤身だけでカツカツの時期もある。山によっても違う。食べ物が豊富な山、貧相な山がある。発情シーズンに入ると、独特の臭いもあるし。

 「イノシシ肉はどうやって食べたらおいしい?」とよく聞かれるけど、答えようがない。どんな条件下のイノシシなのかによって、まるで違う。野生動物を食べるということはそういうこと。100キロを超えるおっさんのイノシシが捕れたら、コトコトと煮込んで柔らかくする料理が多いし、若いイノシシだったら、焼き肉でもトンカツでもいいし。

インタビューに答える千松さん

 ―映画では害獣駆除のシーンも描かれている。死体処理に出せば自治体から補助金も出るし、企業が開発した最新式の遠隔操作のおりも登場している。

 ある意味、あそこで描かれていることが現実。実際、全国の鳥獣被害はひどく、それが理由で農業を辞めちゃう人もいる。田舎に行けば行くほど状況はひどい。猟師は高齢化しており、シカ、イノシシの増加に対応できず、ああいう形で企業が入ってやることになる。

 ただ映画を見てくれた人が思うように「やっぱり(焼却処分は)かわいそう」「無駄になっている」と思う人も多いと思う。山の恵みだし、僕もせっかく捕るなら、最大限有効に利用できないかとは思う。各地で捕って食べる若い猟師が増えたらいいな、と思う。駆除の営みは完全にはなくならないけど、無駄にする命は減らせる。

 ―害獣駆除はどんな形で行われているか。

 京都なら11月―翌3月の4カ月が猟期になっていて、それ以外の季節によく行われる。農家の被害届を受けた自治会が猟友会に「このエリアでよく水田が荒らされるので、50頭まで捕獲してください」と駆除依頼を出す。猟友会の中に駆除隊があって、そのメンバーが捕獲を担う。害獣駆除は、猟をする人のオフシーズンの営みだったが、猟師の数が減り、回らないので、警備会社や民間団体が受けるようになってきた。猟友会も手が足りず、農家に自衛手段として狩猟免許を取得してもらう。僕のやっているくくりワナはちょっと難しいが、えさでおびき寄せるおりのワナが使われている。

 ―駆除された動物は肉としては使えない?

 有害駆除で捕った肉を有効活用する地域もある。でも費用対効果の問題がある。害獣の数を減らすことと、良質な肉を提供することは相いれない要素が多い。

 捕った肉をおいしく食べようと思ったら、迅速な運搬、冷却が必要。捕る時期もある。夏のイノシシは脂が全然乗ってないし、暑さですぐに傷む。1時間以上かけて山から下ろしていたら、食えたものじゃない。それと駆除の本来の目的は数を減らすことだから、例えば1頭を撃ち捕って、近くにもう何頭かいたら、捕った獲物は放置してどんどん撃つべきだ。処理施設に運ぶなら、その時の状態はどうでもいいけど、食肉に回すのなら、内臓を出して血抜きして、冷やしてを迅速にやらないといけない。

 ―新型コロナの流行は生活に影響したか。

 子どもが学校に行っていない期間が3カ月ぐらいあったけど、山が近くにあることがメリットになった。毎日、たき火しながら山に入って木を切ってきて、子どもたちはずっと木刀作りをやっていた。4、5月に遊べるのって夏休みよりよっぽどいい。熱中症の心配ないし、虫もいないし。山の中を散々走り回って。息子は「もう学校いらん」って言ってた(笑)。ただ学校に行き出したら、そこでしか会えない友達もいるので、「楽しい」と言ってるが。

 ―映画を見た息子さんたちの感想は。

 この間、先行上映に家族みんなで見に行った。撮影が始まったのが3年ほど前だったので、子どもらのめっちゃ小さい時の映像が出てきて、「おまえ、まだ赤ちゃんやんけ!」みたいなやりとりをしました(笑)。僕がイノシシにとどめ刺すシーンは「うわ、お父さん残酷やなー」とか普通にコメントしていた。

 ―今後の目標や展開は。

 あまりないかな。本来、ワナ猟師はひっそりしておかないといけない。目立ちすぎるのはあまりよくない(笑)。

 ―後進にワナ猟を伝えていく考えは。

 これまでも環境省の狩猟セミナーで講師をしたり、狩猟の学校で教えたりしている。ただ個別に弟子を取って狩猟技術を教えるのはまだ早いかな。この世界で20年はまだ大したことない。40―50年のベテランがたくさんいるから。とりあえず今まで通りだらだら暮らしていこうかな、と(笑)。

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 映画「僕は猟師になった」は8月22日のユーロスペース(東京)を皮切りに、28日の出町座(京都)、9月12日の第七芸術劇場(大阪)、元町映画館(神戸)と全国順次ロードショー。

 千松信也(せんまつ・しんや) 1974年兵庫県生まれ。京都大在学中に狩猟免許を取り、運送会社で働きながら猟を続ける。著書に「ぼくは猟師になった」(新潮文庫)「けもの道の歩き方 猟師が見つめる日本の自然」(リトルモア)「自分の力で肉を獲る10歳から学ぶ狩猟の世界」(旬報社)がある。

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