「ゴーストタウン」を記者は歩いた ナゴルノカラバフ紛争が残したもの

ナゴルノカラバフ東部アグダム

 アゼルバイジャンとアルメニアが軍事衝突した係争地ナゴルノカラバフでの紛争が終結した。停戦合意から1カ月が過ぎた2020年12月上旬、アゼルバイジャン側から現場を取材する機会を得た。部分的に失地を回復した勝利国だが、奪還した町には戦闘の爪痕が残り、長い地雷の除去作業が始まったばかりだった。帰還を夢見ていた元住民は廃虚となった故郷の姿を目の当たりにし、アルメニアへの消えぬ憎悪を語った。(共同通信=橋本新治)

 近代的なビルが建ち並ぶアゼルバイジャンの首都バクーから車で約5時間。記者は12月10~11日、山地に囲まれたナゴルノカラバフ東部フズーリとアグダムを訪れた。ナゴルノカラバフは「山岳の黒い庭」の意味で、黒い庭とは、肥沃な土壌に由来するという。車中からは羊や牛が草を食べる緑の放牧地や、広大な綿花や野菜の畑が見えたが、両地区に入ると、そんなのどかな風景が一変した。目の前にあらわれたのは、ゴーストタウンだった。

 フズーリ、アグダム両地区は1990年代にアルメニアが占領し、緩衝地帯として放置されたままだった。古い石造りの建物が朽ち果て、草木は伸び放題。今回の戦闘では最前線となり、塹壕が掘られた。フズーリに広がる緑地は、砲弾の痕が水玉模様のようだ。アルメニア部隊が駐屯した建物にも弾痕が残り、近くには地面に突き刺さったままの不発のロケット弾があった。

ナゴルノカラバフ東部フズーリ

 ナゴルノカラバフはアゼルバイジャン領にありながら、歴史的にアルメニア住民が多数を占める。1991年のソ連崩壊前後に民族意識が高まり、帰属を巡る衝突が繰り返された。91年には隣接するアルメニア本国の支持を受けたアルメニア人勢力が「ナゴルノカラバフ共和国」の樹立を宣言し、全面戦争(94年停戦)となった。今回は2020年9月末から44日間にわたって衝突し、5600人超が死亡した。11月、ロシアの仲介で停戦が成立し、戦闘は終結した。占領されていた領土の一部を奪還したアゼルバイジャンの勝利だった。

 アグダムは90年代の全面戦争の激戦地で多数の死傷者と避難民を出した。アゼルバイジャンでは「コーカサスのヒロシマ」と呼ばれている。周囲では地道な地雷の除去作業が続いていた。時折、爆破処理の爆音が響き、黒煙が上った。現場責任者によると、除去作業には5~8年かかるという。廃虚となった町の中心部には、イスラム教の礼拝所であるモスクが残っていた。二つあるミナレット(塔)の一つに上ると、見渡す限りが廃虚だった。

ミナレットから見たアグダム

 12月11日、元住民3人が27年ぶりにアグダム中心部を訪問した。女性教師のアイデ・フセイノバさん(60)は「生きてまたアグダムを見ることができうれしい。今の気持ちを伝える言葉が見つからない」と喜びをかみしめていた。同時に「当時はとても美しく、近代的な町だった。昔住んでいた家は見たくない。心が痛む。もうアルメニア人とは一緒に暮らせない」と声を詰まらせた 。

アイデ・フセイノバさん

 教師のイサ・アブドッライブさん(56)は「アグダムが再びにぎわい、日常が戻るはずだ。そのときには私もここに戻る。この27年間はとても大変だった。色んな場所に住み、ずっとこの日を待っていた。アルメニア人を兄弟と思っていたが裏切られた」と力を込めた。電気技師のメヘンメド・ネゼロブさん(58)は「アゼルバイジャン人とアルメニア人は友人にはなれない。これが歴史の教訓だ。友人になるには世代が変わるほど時間が必要だろう。私は彼らを許せない。みんなだって同じだ。それが人生だ」と目に涙を浮かべて語った。

メヘンメド・ネゼロブさん(左)とイサ・アブドッライブさん

 首都バクーに戻った後、90年代の全面戦争で住居を失った国内避難民らが暮らす古い集合住宅を訪ねた。

 各フロアに20世帯が入居し、それぞれ部屋は12平方メートル(6~7畳)しかない。台所とトイレは共同だった。狭い部屋に家族5人で暮らすフズーリ出身のカルリン・アリエフさん(56)は「アルメニア人が心を入れ替えれば、また一緒に暮らすことができる」と語った。横で聞いていた息子のメカンさん(31)は賛同できないと反論した。「アルメニア人はこの100年間、アゼルバイジャン人と共存できなかった。これから100年たっても彼らは私たちに危害を加えようとするだろう」と語気を強めた。

国内避難民が暮らす集合住宅

 ソーシャルメディアではアルメニア人の子どもがサンタクロースに宛てたという手紙が話題になっていた。

 「僕に本物の戦車と武器を持ってきてください。トルコ人をやっつけるから最前線から本物の戦車と武器を持ってきてってパパに頼んだけれど、持ってきてくれない。パパは僕が大きくなって軍に入隊すれば、何でも手にすることができるって言う。でも、僕は今欲しい。それから、僕はキャンディーもほしいよ。持ってきてくれる?」

 この手紙の「トルコ人」はアゼルバイジャン人を意味するという。手紙を携帯電話で記者に示したアグダム出身のロブラン・アリエフさん(32)には1歳の娘がいる。「私は自分の子供にこんなことは決して教えない。恥だ」と気色ばんだ。手紙の真偽は分からないが、隣り合う民族の憎悪はあまりにも深かった。

 今回、トルコ政府に近い団体が海外メディアに呼び掛けた取材ツアーに参加した。トルコとアゼルバイジャンは民族的に近く「兄弟国家」と呼ばれる。取材ツアーは、国際世論にアゼルバイジャンの立場を訴えるためのメディア戦略と受け止めたが、新型コロナウイルスの影響で入国が規制されおり、貴重な取材機会に違いなかった。参加したのは欧州メディア中心に記者8人。取材にはアゼルバイジャン当局関係者が同行した。

取材ツアーに使われた小型バス

 現地で話を聞けば聞くほど、アゼルバイジャンの憎悪の深さを思い知らされた。その一方、勝利したアゼルバイジャン側からだけ紛争を振り返ることに戸惑いが募った。ナゴルノカラバフ中心部にはアルメニアの支配地域が残る。敗北したアルメニア側から見た紛争には異なる現実があるはずだ。

 参加した欧州メディアの記者の1人の受け止め方は少し違っていた。「今回の紛争では、欧州メディアの報道のほとんどがアルメニア側の情報に基づいて報じていた。アゼルバイジャンで取材することで全体のバランスが取れる」と語った。

 紛争は終わっても憎悪は消えない。根本的な原因は、ナゴルノカラバフは誰のものか、という帰属の問題だ。アゼルバイジャンにはイスラム教徒が多く、アルメニアは歴史あるキリスト教国だが、専門家によると、ともに旧ソ連の統治下で宗教の影響力が低下する「世俗化」が進み、対立に宗教的な背景は小さいと指摘される。

 ただ、2020年11月の停戦合意は問題の帰属には触れず、紛争の核心は棚上げされたままだ。今後の注目は、トルコの役割だろう。トルコは今回、アゼルバイジャンを全面支援し、影響力を誇示した。コーカサスを自国の裏庭とみなすロシアにとっては神経をとがらせる展開だった。トルコの登場が地域に安定をもたらすのか。予断を許さない状況が続く。 (おわり)

首都バクーの近代的な建物

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