一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 父親が負けても喜ぶ? 村山の息子
今回は『1971年7月5日号』。定価は100円。
ついに若虎の復帰だ。腎炎で戦線離脱していた
阪神・
田淵幸一が、6月17日、「四番・ライト」でスタメン出場。6回からはファーストも守ったが、捕手はダンプこと、
辻恭彦のままだった。
最近、1号から複数回のパターンを多くやっているが、この号からも書いてみたい(書きやすい)ネタがいくつかあった。写真は毎回同じものになるが、少しお付き合いいただきたい。
ちなみに1971年シーズンの前半戦終了近くの号。ペナントレースではセが巨人、パが阪急の独走態勢にあった。
まずは冒頭の阪神から。
前のシーズンで後半に驚異的な追い上げを見せ、あわや優勝かと騒がれた阪神だが、この年は
村山実兼任監督が胆のう炎、
江夏豊が心臓疾患、田淵幸一が腎炎で苦しんでいたこともあり、5位に甘んじていた。
結果が出ないとたたかれるのが、このチームの常。ターゲットは、前年14勝、防御率0.98の快投を見せながら、滅多に投げなくなった村山に絞られ始めた。
難しいのは、選手なら療養を理由にベンチ入りしなければ目立たないが、監督だから投げられなくてもベンチにはいる。
すると、マスコミには、こういう記事が出る。
「なぜ投げないのか。病気がほんとに重症ならユニフォームも着られないのではないか。ユニフォームを着てグラウンドに出ている以上、ファンへの責任からも、投げるべきではないか。ファンは村山が投げるというだけで、たとえ負けても満足するだろう」
さらに身内が追い打ちをかける。
戸沢一隆球団社長が、村山個人にではないが、ナインに対し、
「今度病気ということを口にしてはいけない。病気を不振の理由にするのはおかしい」
もっともではあるが、村山は当然、怒る。
「病気でもないのに病気だと言ってさぼっているようにとられるのは心外だ」
村山の症状は常にだるさが抜けず、夕方になると熱が出てくる、という。
内臓系の疾患はケガのように見た目には分かりづらいから誤解されやすい。
5月9日の大洋戦が、シーズン初登板で初完封だったが、これにより「病気なら仕方ない」と同情していた選手たちが「やればできるんやないか。ほんとに病気なのか」になったという。
まさに「投げるべきか投げざるべきか」のハムレットになってきたか。
実は村山の悩みはもう1つあった。いや、悩みというのは大げさだが、長男が大の巨人・
王貞治ファンということである。村山によれば、自分が打たれて負けた試合の後でも、王がホームランを打っていればキャッキャと大騒ぎだったという。
ある新聞が息子にインタビューし、「阪神が優勝するには」と聞いたときもこういう答えだった。
「巨人からONをつれてきたらいいよ」
確かにそうです。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM