香港科技大学のキャンパスで会った。文学の教壇に立つ閻さんは一年の半分を、自宅がある北京を離れて香港で過ごす。激しさを増すデモ隊と警察の衝突に心を痛めていた。
「香港の市民の要求はわかるし、尊敬する。ただ、社会が制御不能に陥っているようにみえる。先が見えない」。言論の自由が限られる中国で、タブーを排して物語を展開する閻さんは、大陸で出版できない作品が少なくない。香港に息づく自由は、著作の活力でもある。
九つの小説を集めた短編集である本書のあとがきも、ここで書かれていた。日本の読者へ向けて、芥川龍之介の短編を「精巧な硬い手榴弾(しゅりゅうだん)が頭上で爆発した感じ」、三島由紀夫なら「凍りついた雪の日の梅の花」などとつづる。
閻さんは1958年、河南省の農村に生まれた。貧しさから抜け出すため、78年に中国人民解放軍に入り、小説を書きながら2004年まで過ごした。本書でも、農村や軍隊を舞台に、農民や下級兵士の悲しみや怒り、感情すら失うほどのやりきれなさが描かれる。弱い人も強い奴(やつ)も、正邪や善悪で分断しない。
そんななかに「なじみの薄い世界、心の新しい土壌を耕した」と語る2作がある。18年に発表した「道士」と「信徒」。世俗性とまじめな信仰心をあわせもつ登場人物の矛盾が、現実を浮かびあがらせる。
新作の長編「心経」も、宗教がモチーフ。年内にも香港で出版する予定だ。「共産党が統治する中国は『無神論大国』だが、実は仏教、キリスト教から民間信仰まで多くの信者を抱える宗教大国でもある。出口が見えない人生の解を信仰に求める人も増えている」。心を耕し、創作の実験を続ける。構造の矛盾が大きいほど、閻さんの筆もはじけるに違いない。(文・写真 編集委員・吉岡桂子)=朝日新聞2019年9月14日掲載
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