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「アジールと国家」書評 寺社が後押しする民衆の「実利」

評者: 間宮陽介 / 朝⽇新聞掲載:2020年03月21日
アジールと国家 中世日本の政治と宗教 (筑摩選書) 著者:伊藤正敏 出版社:筑摩書房 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784480016874
発売⽇: 2020/02/12
サイズ: 19cm/333p

アジールと国家 中世日本の政治と宗教 [著]伊藤正敏

 アジールは避難所、無縁所などと訳される。江戸時代の駆け込み寺はそのいい例である。夫の暴虐に耐えかねた妻が息も絶え絶え、寺に駆け込む。門前で追っ手に捕まりそうになっても草履や櫛を投げ込めば、縁切りが達成されたという。
 駆け込み寺だけではない、「都市の空気は自由にする」とうたわれたヨーロッパ中世の自治都市もしばしばアジールの一例に挙げられる。都市に逃れる隷属民は一定期間の後には自由民の資格を得る。世俗の義理や支配関係から解放された空間、自治都市もまたアジールにほかならない。
 本書は代表的なアジール論であるオルトヴィン・ヘンスラー『アジール』と網野善彦『無縁・公界(くがい)・楽』、そして前者の邦訳者舟木徹男の長文の解説を検討しながら、著者の見解を披瀝(ひれき)したアジール論である。どこまでが3者と同じで、どこが違うのか、あまり判然としないが、はっきりしているのはアジールと国家の関係についてであろう。
 例えば、ヘンスラーにおいてはアジールと直接対峙するのは国家である。これに対し著者はアジールと国家の間に人々が生活する「全体社会」なるものを介在させる。この違いはアジール法が最も力を得る「実利主義的段階」(ヘンスラー)の理解において顕在化する。ヘンスラーにとって、「実利」とは国家にとっての実利、アジール法を最大限利用するという意味での実利である。これに対し著者は、実利を民衆にとっての実利とし、寺社はこれを後押しして国家と対峙したとみる。
 ヘンスラーのアジール論は宗教と法の境界領域を探ろうとし、網野のそれは有主(私的所有)・有縁(支配関係)の歴史観に無主・無縁の歴史観で一矢を報いようとした。一方、日本中世における寺社の意義を中心にして論じた本書は、テーマの広がりよりは細部に彫琢(ちょうたく)をみせる。意外な発見も多い。一読をすすめたい労作である。
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いとう・まさとし 1955年生まれ。思想家、中世史研究家。元長岡造形大教授。著書に『寺社勢力の中世』など。