文春オンライン

相模原殺傷「私が死ななくては解決できない」……1年半の文通で植松被告が見せた“ある変化”

言葉を潜在的な凶器としてなされた犯行だった

2020/01/10
note

〈今回の事件は、私が死ななくては解決できないと考えております。もちろん全く死にたくありませんが、そうでないと話がまとまらないだろうと思います〉

 2年前の4月27日付の手紙で、植松聖被告は私にこう打ち明けている。彼との手紙のやりとりが始まったのは、事件から1年半が経った2018年の2月。その手紙は文庫本1冊をゆうにしのぐ分量になった。

植松聖被告から届いた手紙

突然口に手を突っ込み暴れ出した初公判

 1月8日、横浜地裁で行われた初公判の顛末を聞いて、この言葉が頭をよぎった。被告は殺害の事実を認め、「皆さまに深くお詫びします」と述べた後、突然口に手を突っ込み暴れ出したのだ。舌を噛む自害のポーズにも見え、裁判所の説明によると「右手の小指を噛み切るような動作」だったという。

ADVERTISEMENT

 2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設「やまゆり園」に複数の刃物を用意した男が侵入し、1時間あまりのうちに19名を殺害、26名に重軽傷を負わせた。当時26歳の犯人・植松聖被告は「やまゆり園」の元職員で、逮捕後一貫して「意思疎通のできない障害者を安楽死させた」と犯行の正当性を主張した。

植松聖被告

言葉を潜在的な凶器としてなされた犯行だった

 逮捕後の接見禁止が解かれてからの植松被告は、取材者を通じて「自分が殺したのは人間じゃない」という自分の主張を喧伝していた。(参照:「“不良”というブランドに憧れていた」相模原殺傷、植松聖被告から文春記者に届いた手紙――文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/24729

 ここで忘れてはならないのは、この犯行が言葉を潜在的な凶器としてなされたという事実である。

 実際、植松被告は犯行前から「会話が人間の文化であり、幸せの共有に不可欠のものです」「意思疎通ができなければ動物です」(友人へのLINEより)と、言語能力の有無で人間を分け、犯行の最中も

<(引用者註:相手が)意思疎通がとれるか職員に確認し、自分でも挨拶をしています>(私への手紙)

  と言葉に判断基準を置いて殺すか殺さないかを決めている。

 さらに、植松被告は短く、的を射たような表現や使い勝手のよい用語に飛びつき、繰り返し使いたがるように見えた。犯行後、「安楽死」させてよい者を指す「心失者」なる用語を造ったのもその一例だ。

 言葉が犯行の主軸ならば、彼自身の言葉にこそ、犯行の動機や彼の人間性、思想がより色濃く表れるのではないかと考え、私は手紙を送り始めた。