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あまりの孤独に命を絶つことさえ考えた。逮捕から4年、俳優・高知東生は「生き直す」

2016年に覚せい剤取締法違反で逮捕、懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。もうすぐ執行猶予期間が終わる。そんな中、高知さんはTwitterドラマに出演し、俳優復帰を果たした。

自分のためだけなら、きっと折れていた。

でも、いま彼が俳優業への復帰を決め、再び表舞台へ立とうとするのは自分のためだけではない。

2016年に覚せい剤取締法違反で逮捕された高知東生さんは一歩一歩、歩みを進める。それは「自分のためでもあり、仲間のためでもある」。

5月14日から20日のギャンブル依存症啓発週間に合わせて公開されたTwitterドラマで俳優復帰。演じたのはギャンブル依存症当事者の役だ。

逮捕後、数々のバッシングを受けた。「更生支援キャラ」、そんなマスコミのレッテルにも屈しない。「生き直す」と力強く口にする男の覚悟とは。

バッシングすら受け入れて

2016年9月に懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。あの日から3年8ヶ月、未だ執行猶予の期間は明けていない。そのことから、いま俳優業に復帰することが正しいことなのか悩んだこともあったという。

「自分としては、執行猶予が切れるまでは表舞台に出るべきじゃないという気持ちもあるのは事実です。でも、依存症の仲間たちが後押しをしてくれて、俺で良ければ、俺でも役に立てることがあるならと最終的には引き受けさせてもらいました」

逮捕後にはバッシングも受けた。「こいつはまたやる」「反省していない」「二度と芸能界に戻ってくるな」といった批判の声も寄せられた。

そうした一つひとつを「いろんな方々の意見、考えがあることは当たり前のことです」と受け止めた上で、依存症の仲間やその家族の方達の希望になれるように自分は前を向いて一歩一歩進んでいく」と決意を言葉にした。

「僕以上に、依存症で苦しんでいる仲間やその家族の方が、こうして批判の声が大きくなることで再起が難しくなって、苦しんでいる。でもね、依存症で苦しんでいる仲間やその家族の方達、いまも回復し続けている人に支えられて、助けられたからいまの僕があるんです」

「だから、批判されること、バッシングを受けること。『何を考えているんだ』『ふざけるな』と言われることは覚悟の上で、僕は一生懸命頑張っている仲間たちのために全てを受け入れてやっていこうと決めたんです」

死ぬことすら考えた2年。執行猶予は謹慎期間か?

高知さんは執行猶予の判決を受けてから、すぐに依存症の仲間たちとつながったわけではなかった。最初の2年は「引きこもって暮らしていた」。

留置所を出た直後、迷惑をかけたことへの謝罪をするため友人や知人に連絡しようとしたが既にブロックされていた。

それでもつながり続けてくれた友人がその後の生活を支えてくれた。逮捕以前に暮らしていた家の周りはマスコミが張り付いていたため、帰ることを断念。知り合いのツテを頼り、とある会社の社員寮の1室に身を潜めた。

「外には出ないほうがいい」「何か必要なものがあれば、代わりに買ってくるから」

親切心からの申し出はありがたくもあった。だが、同時に社会との距離が開いていった。外に出よう、そう思ったことは一度や二度ではない。それでも、「もしも自分の居場所がマスコミに知られたら、ここにはいられなくなる」「近隣の人にも迷惑をかけてしまう」と思うと、踏み止まるしかなかった。

逮捕後の1年は家族とのけじめをつけ、自らが経営していたお店のスタッフの再就職口探し、借りていた物件のオーナーへの謝罪などバタバタと対応しているうちに過ぎていった。

だが、そこから先が「一番辛かった」。そう振り返る高知さんはの声は少しだけ震えていた。

「時間もできて、でも周りの友達には外には出ないほうがいいって言われて、引きこもる。あの時はもう一番辛かったですね」

本来、執行猶予の期間は回復するためにも、働き口を探すなど社会とつながり続けることが望ましい。

だが、当時の高知さんや友人は「執行猶予というものは刑務所に入る代わりに、社会にいたとしても自粛、謹慎をして何もしてはいけない」と思い込んでいた。反省をし、ひたすら耐え忍ぶ生活が2年ほど続いた。

「反省をして、自分のことを責めてしまう。これは当たり前のこと、必要なことでもあります。でもね、考えれば考えるほどに『俺は生きちゃダメなのかな』って、生きるべきじゃないんじゃないかって…そこまで自分で自分を痛めつけていたんです」

働き口を探そうと奔走してくれた友人もいた。だが、50代、前科ありの自分を受け入れてくれる会社はそう簡単には見つからない。

「50代が再犯率が高いんだ」「そんな傷物、うちでは雇えない」、何度も辛辣な言葉を耳にした。

この時間はいつ終わるのか、どれだけ考えてみたところで答えは見えなかった。「もしかして4年も続くのか?」、そんな考えが頭によぎった時、「もうもたない」と思ったという。気付けば、死ぬことすら考えていた。

受け入れられない、「薬物依存」という病

そんな時、つながったのが公益社団法人ギャンブル依存症を考える会の田中紀子さんだ。逮捕直後、「高知さんは回復する」と断言していた数少ない人の一人だ。

そして田中さんを通じて、自助グループと出会い、依存症の仲間たちが同じような悩みを抱えて生きていることを知った。

「なぜ薬物を?」「どうしてやめられなかったのか?」、様々な問いへと向き合う中で、人生の棚卸しを進めていく。自分のこれまでを見つめ直す中で、自尊心さえなくしていた状況から立ち直ることができた。

「やっぱり仲間たちと話すと、こんな悩みを抱えていたのは俺一人じゃないんだ、みんな似たような経験をしているんだと知って、どんどんと楽になっていったんです」

もう一人、逮捕後の高知さんを支えてきた人がいる。それが国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師だ。

カウンセリングを受けられないか。逮捕直後、誰につながればいいかわからない中で事情聴取をされた時に麻薬取締官(通称:マトリ)が教えてくれたのが松本医師の存在だった。

「そうだな、700番(留置所での高知さんの番号)だったら、国立精神の松本俊彦先生のところがいい」、その助言が高知さんの背中を押した。

「あなたは病気です」、松本医師の宣告を最初は受け入れることすらできなかった。

「なんででしょうね、僕は病気じゃない、運が悪いんですと最初の何ヶ月か言い続けていた。いま自分が病気だと認めたら、精神病院に入れられてしまう、そんな憶測から身構えてしまったんです…」

「あなたは捕まっていなければ、薬物をやめていない。その時点で病気なんです」。はっきりと現実を直視させられる中で、少しずつ自分が薬物依存症という病気であることを受け入れることができたという。

「ああ、そうか。そうだよなって少しずつ受け入れることができたんです。捕まる前、このままだったらヤバいと思いながら、わかっているのにやめられなかった。このままだと家族も何もかも失うとわかっていたのに、やめられなかった。生きる上での優先順位が変わってしまっている時点で病気であるとようやく認めることができました」

逮捕時、口をついて出た「ありがとうございます」

高知さんが初めて薬物に手を出したのは20歳の時。時代は当時、バブル絶頂期だった。

「ちょっと田舎でヤンチャをしていた。そんな時に家庭環境のこととか色々とあって田舎にいることができなくなって上京した。田舎者ですから、『参りました』『負けました』『すみません』なんて言っちゃダメだと自分に言い聞かせ続けていたんです。何だって『できる』『やれます』『かかってこい』の姿勢でやる。そう決めていた」

成り上がる、その一心で何でもした。成功が欲しかった。

「それまでの生活でお金にも苦しんだからこそ、お金を掴むぞと。いま思えば上っ面なものばかりですよ…でも、成り上がるとは何か真剣に考えて、いい車に乗って、いい服を着て、いい女性を連れて、いい家に住んで。そのために突っ走っていたんですよ」

あらゆる物を手にしても、欲が尽きることはなかった。むしろ膨れ上がっていく。

「嘘だってついてきたし、かましてきた。裏切りもしたし、泣かせもした。どんなことも、チャンスになるなら飛びつかないといけないと言い聞かせてきた。だって、チャンスはむこうからやってきてはくれませんから」

「当時、俺は東京ってすごいなと驚いてばかりいたんです。こんなに金を持っていて、綺麗な女性を連れていて、いい車に乗って、仕事はバリバリこなしている。そして、夜になれば豪快に遊んで、薬もお洒落に使って…東京は違うなと」

憧れていた先輩が薬物を使っていた。「お前、やったことあるか?」、差し出された薬物を断ることはできなかった。むしろ「断りたくなかった」。

そこから時折、薬物に手を出すようになる。自分でコントロールすることができず、のめり込んでいったのは2015年のこと。芸能活動を休止して、経営していた健康産業の会社に集中しようと思った時のことだった。

芸能活動休止を決意させた大手企業とのコラボが立ち消えに。そのつまずきからプランが崩れた。事業が順調でないことは事務所に伝えることはできずにいた。当時の妻にも悩みを吐露できずに時間が過ぎていった。

「捕まる前の1年はいろいろなことが重なって、苦しんでいることを妻にも相談できずにいたんです。一人で抱え込んでしまった」

悩みが深くなればなるほどに薬を使う頻度が増えていった。「やめたくてもやめられなかった」、当時の状況を高知さんはこう説明する。

「このままだと本当に家族も信頼もすべてを失う。わかっていながら、やめられませんでした」

「やめたいという思いはいつもあったんです。やべえって。でも、やめられない。そうやって『ヤバい』と思うことすらストレスになって、そのストレスを忘れたくて、また薬を使ってしまう。薬を使っている間だけは、辛い気持ちを忘れることはできたんですよね。でも、その反動で薬が切れるとまた悩むんです。一体、自分は何をやっているんだって」

そして、2016年6月24日、横浜市内のラブホテルで高知さんは逮捕される。

「マトリが踏み込んできたときは、終わったと思いました。でもね、同時にこれでやめられると思ったんですよ。本当に、これでやめられるって」

逮捕された瞬間、口をついて出たのは「来てくれてありがとうございます」という一言だった。

家族さえ裏切った。それでもなお…

「考えてみてくださいよ。愛人、薬物、ラブホテル。こんなスリーカードだよ?最悪の男ですよ、本当に」

「家族さえも裏切った」という思いをいつまでも拭い去ることはできずにいる。

それでも、これまでの自分を否定することはできないともつぶやく。

「その時、その時を一生懸命生きていた。薬物に手を出してしまったり、歪んだモラルを持っていたことは事実です。でも、それも紛れもない自分自身の過去なんです」

成り上がることに必死だった。あの頃の自分にもしも声をかけるなら、「お前も色々しちゃったけど、あのときは一生懸命だったんだよな」と声をかけたい。

「『色々あったけど、よく頑張ったよお前は』って自分で言ってあげたいんですよ。同時に、これからどうするんだ?って、『丈二(高知さんの本名)よ、これからを決めるのもお前だからさ』って」

俺は何でもかんでも上に登っていくことを良い事と思ってた。成りあがってやろう!見返してやろう!としがみついていた。でも事件以降、滝壺から真っ逆さまに落ちて、川をダーっと滑り下りたら、ポカっと海に浮かんだんだよ。なんだしがみついていたものを手放せば楽になれたのか!ってやっと学べた。

治療を進める中で、自分のこれまでを見つめ直してきた。そして、自分の生い立ちも自ら死を選んだ母のことも包み隠すことなく語ることを決めた。

そんな彼の振る舞いは「赤裸々」と形容されがちだ。だが、「僕にしたら、赤裸々なんかじゃない」と高知さんは言う。

「一般の人は僕が語ることを赤裸々だって言うけどね、自助グループの仲間たちの話なんてこんなもんじゃないからね。だから、僕にしたら正直にありのままを話すことなんて全然問題ない」

「世間からすれば、そんなことまで話すのかって思うかもしれませんね。でも、僕の人生なんて全然甘っちょろいですよ」

自助グループで自分の体験を分かち合う仲間と出会った。彼らと出会い、知ったことがある。それは、自分の体験を語ることが誰かに希望や勇気を与えるということだ。

「俺は仲間たちのおかげでそれに気づくことができたから。語り続けることで、誰かに俺は一人じゃないんだ、私は一人じゃないんだって思ってもらうことができれば良いなと思っています」

仲間がいたから、いまがある

「依存症の仲間がいるから、いまの俺がある」「仲間に助けられてきた」、取材中に高知さんが何度も繰り返し語った言葉だ。

「誰とつながるかが本当に大事なんです」と高知さんは強調する。

「薬物依存に限りません。依存症で生きづらさを抱えているなら、まずは一歩踏み出して欲しいんです。僕の経験談から言えるのは、周囲の人の良かれと思って口にする一言が自殺に追いやってしまうかもしれない。だからこそ、同じ苦しみを痛みを知っている人とつながることが重要なんです」

俺がTwitterドラマに復帰することで「芸能界は甘い・どうせまたやる」という批判を見ると勿論辛い。でもその批判で再起が困難になり追いつめられるのは一般の依存症当事者・家族だって知ったんだ。だから批判が出る原因となった自分の責任として、批判を受け入れ自分のこれからを見て貰おうと思ってる

Twitter

9月に執行猶予の期間が終わる。4年という区切りを迎えてからも、依存症についてそして回復し続ける自身の姿を発信し続けたいと考えている。

「回復し続けることで、また見える光がきっとある。そうした姿を見せていくことは僕の責任だと思っています。その姿がもしかしたら苦しんでいる人や悩んでいる人への希望になるかもしれない」

「再起することが困難で苦しんでいる仲間達に、もっと理解ある社会になってほしいと思うんです。だから、根も葉もないことを言って叩かれたり、バッシングや批判もありますが、それでも自分の役割を果たしていこうと、いまは思っています」

俳優復帰について情報が発信されると、「おめでとう」「戻ってこれたな」「早く共演しようぜ」といったメッセージが高知さんのもとには届いた。

「もう留置所から出た直後は寂しくて仕方なかったですよ。なんだよ、みんなブロックしやがってって。でもね、諦めずに誰かとつながって、ブレずに本気で生き直したいと頑張れば、見てくれている奴は見てくれているんだってわかったんです」

ある番組に出演したとき、「笑わないでください」と記者に忠告を受けた。自分に期待されているのは笑顔を見せず、反省し続けるわかりやすい「更生者」の姿だと知った。

それでもなお、自分の過去の行いに対する反省は自分の言葉で責任を持って伝えていくべきだと考えるからこそ、こうした忠告は「自分を思ってくれているとわかるけど、変えていきたい」と口にする。

「やっぱり俺は、もう一度、俺の人生を生きたいから。それに、どんな表情で語ったところで賛否は分かれると思うんですよ。ならば、自分が納得するやり方で伝えていきたい。俺はありのままで生きたい」

「たとえ、ありのままがカッコ悪かったとしても、それでも良いといまは思うんです」

そう語る、高知さんは笑顔だった。