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火の玉を際立たせるフォーク…藤川球児はこうして手に入れた 神様「ストレートに満足しないうちは無理だ」

2020年10月29日 10時50分

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藤川(右)にフォークの握りを教える杉下茂氏=2008年2月7日、沖縄・宜野座球場で

藤川(右)にフォークの握りを教える杉下茂氏=2008年2月7日、沖縄・宜野座球場で

渋谷真コラム・龍の背に乗って


◇28日 阪神 9ー1 中日(甲子園)
 大敗の9回、最後のアウトは藤川に奪われた。わずか2球。これが見納めかと思うと、胸が熱くなった。岩瀬を出せれば中日の勝ち。球児なら負け。強かった竜の前に立ちふさがった最強のトラは、今季限りで引退を表明している。
 2球とも代名詞の火の玉ストレートだったが、落差のあるフォークも僕の心をとらえてきた。それはフォークの神様・杉下茂さんにこんな話を聞いていたからだ。
 「星野が(阪神の)監督だったころ、球児にフォークを教えてやってくれと頼まれたんですよ」。つまり、2002年か03年の春である。明大の後輩である星野監督からの依頼なのに、ブルペンで藤川の球を見た杉下さんは教えるのをやめた。なぜか…。
 「ストレートがいまいちだったんですよ。ストレートに満足しないうちは、フォークは無理だよ。こう言ったんです」
 要するに入門を許さなかったのだ。当時の藤川は、まだクローザーでもセットアッパーでもなかった。02年はプロ初勝利を挙げたが1勝5敗。03年も1勝止まり。1、2軍の当落線上にいる投手だった。ところが数年後、凡庸だったはずの若者は、自信に満ちた表情で杉下さんの前に現れてこう言った。
 「ようやく満足のいくストレートを手に入れました」。うなる火の玉を見て、杉下さんは心行くまでフォークの神髄を伝えた。以降の藤川の投球は火の玉あってのフォークであり、フォークが火の玉を際立たせてきた。
 律義な男だ。この縁があってから、藤川は自らの練習休日を割いて、沖縄県北谷町の中日キャンプを訪問するようになった。毎年、臨時コーチを務める杉下さんに近況を報告するためだ。ただ、昨年は藤川が体調を崩し、今年は杉下さんがキャンプ不参加だったため、会うことができなかった。神様にとって、恐らく最後の直弟子。きっとテレビの前で楽しみにしているはずだ。

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