日本初の量産軽自動車は鈴木自動車初の4輪車、スズライト。国民車構想と軽自動車の規格の変遷【スズキ100年史・第7回・第2章 その1】

織機事業から2輪車事業に転身して成功を収めた鈴木自動車、第2章ではいよいよ4輪車に進出し、軽自動車のパイオニアとなる足跡について話を進めます。

大戦後の1950(昭和25)年、通産省は国産乗用車の開発を促進するための「国民車構想」を発表。その前年1949(昭和24)年には、軽自動車の正式な規格が制定されました。

軽自動車の規格はその後何回か見直され、1954(昭和29)年には排気量が360ccまで拡大されました。これを機に多くのメーカーが軽自動車事業に参入しましたが、この規格にいち早く対応した鈴木自動車は、1955(昭和30)年に量産初の軽自動車「スズライト」を発売したのでした。

第2章 軽自動車のパイオニアとして足跡

その1.国民車構想と軽自動車の規格

●戦後の自動車産業

戦後のGHQ(連合国軍総司令部)占領下、1945(昭和20)年にトラック、1947(昭和22)年には乗用車の製造が許可されましたが、生産数には制限がかけられていました。

その後生産制限は解除されましたが、大戦直後の主役は戦前から活躍していた小型3輪トラックでした。戦後の復活のための物流という重要な役目を担い、ダイハツやマツダなどが製造する3輪トラックが大きく生産を伸ばしていました。

乗用車の分野は、まだ技術的にもコスト面でも庶民の手の届くようなレベルではありませんでした。1947(昭和22)年には、トヨタが「トヨペットSA型乗用車」を発売しましたが、耐久信頼性が十分でなく、少量生産にとどまりました。

トヨペットSA型乗用車
トヨペットSA型乗用車

一方、比較的容易に製造できる軽自動車は、多くのメーカーが製造に挑戦。代表例は、1951(昭和26)年に発売されたオートサンダル自動車の「オートサンダル」ですが、価格は30万円と当時としては高く、200台程度の生産で終了しています。

●通産省による国民車構想の提唱

乗用車が徐々に増え始めた1955(昭和30)年、通産省は乗用車の開発を促進するため「国民車構想」を発表しました。一般庶民でも所有できる自動車の開発・生産を推進するのが狙いです。

国民車構想とは、下記の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国がその製造と販売を支援するという内容です。

★要約・国民車構想(正式名・軽乗用自動車育成政策概要)
・乗車定員は4名、もしくは2名と100kg以上の荷物が積めること
・排気量350~500cc。
・最高時速100km/h以上。
・平坦路で60km/h走行時の燃費が30km/L以上であること。
・大きな修理なしで10万km以上走れること。
・月産2000台のとき、1台あたりの販売価格が15万円以下であること(のちに「25万円以下」に修正された。)。
・この国民車を生産する企業に対しては、その製造設備・販売資金の一部を財政資金から支出するとともに、銀行からの融資も斡旋する。
など。

実際には、目標が高すぎて自工会が達成不可能と表明するなどして実現できず、構想そのものは不発に終わりました。しかし、乗用車の国産化技術の発展とモータリゼーションの火付け役としての役割は、非常に大きかったと評価されています。

●何回も見直された軽自動車の規格

軽自動車という正式な名称、概念が誕生したのは、国民車構想発表の1年前、1949(昭和24)年でした。国民車構想に先駆けて法改正が行われ、従来の「小型自動車」が「小型自動車」と「軽自動車」に分割され、初めて軽自動車の規格が制定されたのです。

この時の規格は、車両サイズは全長2.8m、全幅1m、全高2mで、4ストロークエンジンの排気量は上限150cc、2ストロークエンジンの排気量は100ccでした。

しかしこの規格で4輪車を成立させるのは難しく、適正な規格になるように、以後何回も規格の見直しが行われました。
翌年1950(昭和25)年には、全長3m、全幅1.3mに拡大、排気量は4ストロークが上限300cc、2ストロークは200ccに増大。1951(昭和26)年には4ストローク上限360cc、2ストロークは240ccまで増大されたのでした。

軽自動車規格の変遷
軽自動車規格の変遷

●日本初の量産軽自動車「スズライト」デビュー

1954年(昭和29)年の規格変更で、車体サイズはそのままに、排気量が4ストローク、2ストロークエンジンとも上限360ccに統一されました。この規格見直しを機に、小さな自動車修理工場から戦時中に飛行機部品を作っていたメーカーまで、こぞって軽自動車の製造に取り組み始めました。

この規格にいち早く対応したのが、当時2輪車を製造していた鈴木自動車です。
1955(昭和30)年、鈴木自動車は日本で初めて量産の軽自動車「スズライト」を発売し、織機メーカーから完全に2輪車・4輪車メーカーへと転身したのでした。

スズライトSS
スズライトSS

ちなみに、あまりにも有名な軽自動車スバル360は、その3年後となる1958年(昭和33)に登場しています。

(文:Mr.ソラン 写真:トヨタ、スズキ)

第8回に続く。


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この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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