法廷ものとして真っ当に面白く、さらに歴史の捏造に対して毅然とした態度をとる作品である『否定と肯定』は、2017年の今だからこそ見ておきたい一本だ。
ホロコースト否定論を否定せよ「否定と肯定」は歴史の捏造に対して毅然とした態度をとる法廷映画

ユダヤ系歴史学者VSホロコースト否定論者、イギリスでガチンコ対決


『否定と肯定』の題材となっているのは、"アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件"だ。1996年から2000年(最終的にアーヴィングの控訴が却下されたのは2001年)にかけて争われたこの裁判で問われたのは、ホロコースト否認論の是非である。


1994年、アトランタの大学で働くユダヤ系のホロコースト研究家デボラ・E・リップシュタットは、講演の最中にホロコースト否認論を説く歴史家のデイヴィッド・アーヴィングからの妨害を受ける。「プレスリーの生死を論じても意味がないのと同じ」と言ってホロコースト否認論者との対話を退けるリップシュタットだったが、アーヴィングは会場で勝手に著書を配布し、挙句にはリップシュタットへの中傷をインターネットに書き散らす。

次いで1996年。リップシュタットはイギリスにおいてアーヴィングから名誉毀損で訴訟を起こされる。アメリカの裁判の仕組みと異なり、イギリスでは被告側に立証責任があり、その仕組みを突いた訴訟であった。法廷で真っ向からアーヴィングと対決することになったリップシュタットは、ダイアナ妃の離婚裁判で弁護を務めた事務弁護士のアンソニー・ジュリアスと名誉毀損専門の勅撰弁護士リチャード・ランプトンを中心としたイギリス人弁護団を雇い、「ホロコーストが実在したこと」を証明するという奇妙な裁判に挑む。


実際のホロコースト生存者からの訴えや自身もユダヤ系であることから感情的になり、自らや生存者による証言で戦おうとするリップシュタット。それに対して、入念な下調べによる地道な作戦を勧める弁護団。アウシュビッツの建造物に関する細かい点をいちいち指摘してはリップシュタットの主張の粗を探そうとするアーヴィング。一進一退の攻防を見せつつ長期化する裁判の中で、果たして勝つのはどちらか。

ホロコースト否認論というヘビーな題材を扱った映画ではあるが、まず言っておきたいのは、この映画は法廷ものであるという点だ。裁判というバトルを扱い、どうなったら勝利なのかがはっきりしている法廷もの映画は大体面白いものだが、『否定と肯定』もそれに倣った作り。
弁護の方針を巡って対立するリップシュタットとイギリス人弁護団。イギリス独特の裁判の仕組みや息つまる法廷での舌戦。そういった法廷もの独特の盛り上がるポイントが、随所に散りばめられている。

極めて重い題材を扱いながら、まずは映画としてちゃんとエンターテイメント性のあるものとなっている点は特筆に値する。元ネタが有名な事件なのでどういう結末で終わった裁判かは知っていたのだが、それでもハラハラしながら見てしまった。これは映画全体のテンポの良さや、画面の空気感によるところが大きいだろう。
語り口が暗くなく、「突っ張っていた主人公がチームプレーの有効さを知る」という王道の展開でまとめている点も、後味の良さに繋がっている。

「否定を否定するための戦い」とは


とはいっても扱っているのは人類史に残る大量虐殺であるホロコーストだ。リップシュタットと弁護士が証拠集めのためにアウシュビッツへと向かい、そこで広大な強制収容所の有様を目の当たりにするシーンは重い。ホロコースト生存者がリップシュタットに面会するシーンや、その生存者を法廷で証言させない理由なども、歴史的事件に対する扱いにどれほどの慎重さが要求されるかをうまく表現している。

対して、アーヴィングの主張は明らかに一貫性を欠いている。自分の主張に反する者には明確な証拠を出せと迫る一方で、自らの著作における矛盾は「記憶違いだってある」と開き直ってみせる姿は、滑稽かつ恐ろしい。
なんせこれはフィクションではなく、デイヴィッド・アーヴィングという人は実在してそれなりに支持を集めているのだ。

歴史的事実を直視せず、陰謀論や都合のいい部分のつまみ食いで済ます誘惑は、それほど強いのである。ここしばらく"ポスト・ファクト"や"ポスト・トゥルース"などの言い回しでそのような心の動きについて言及されることが多いが、1994年にはもうすでにそういったコンフリクトは発生していたのだ。それほどまでに、負の過去を過小評価したり消し去ることは、ある種の人々を惹きつけ続けている。

『否定と肯定』は、この誘惑に対して毅然とした態度を取る。そもそも、この裁判は「ホロコーストはあったか、なかったか」を決めるものではない。
リップシュタットにとっては「ホコローストはなかった」という意見を否定するための裁判である。「ホロコーストはあった」という事実を100パーセント認めた上で、それを否定するという行為にNOを突きつけるための戦いなのだ。「あったかもしれないし、なかったかもしれない」という話とは、似ているようで全く違う。

そして『否定と肯定』は、リップシュタットの立場に立った映画である。それは原題が『DENIAL』(「否定、否認、拒絶」の意味)であるところからも明らかだ。相対的な妥協がまったく存在しない戦いを描いた作品なのである。


そういう意味では、『否定と肯定』という邦題はちょっと残念だ。リップシュタットの著作から取られたタイトルであることはわかるのだが、原題の持つ強い主張と比べると、どうにも相対的で腰が引けている。もうひとつ言えば、映画のポスターに添えられていた「真実か、虚構か」というキャッチコピーも、少なくともこの映画の内容に沿ったものとは言いにくい。真実か虚構かを裁判で争ったのではなく、真実を虚構と言い張る行為を拒絶するための裁判を描いた映画だからだ。映画の内容自体はめちゃくちゃ面白かっただけに、ちょっと残念である。

【作品データ】
「否定と肯定」公式サイト
監督 ミック・ジャクソン
出演 レイチェル・ワイズ ティモシー・スポール トム・ウィルキンソン アンドリュー・スコットほか
12月8日より全国ロードショー

STORY
1996年、アトランタの大学で教鞭を執るホロコースト研究家のデボラ・E・リップシュタットは、イギリスにおいて歴史家デイヴィッド・アーヴィングから名誉毀損で裁判を起こされる。ホロコースト否認論の是非を問う裁判に臨むことになったリップシュタットは、辣腕の弁護士たちを揃えて証拠集めを進めるが……。
(しげる)