宮城県出身のフラガール…JR常磐線“再開”でつながる2つの故郷

福島・いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」。年間170万人ほどが訪れる人気の観光スポット。

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開業以来55年、観客を魅了するのが、フラガールのショー。

フラガールの1人、高倉ななさん(20)。
フラガールになって、2020年で3年目。唯一の宮城県出身・フラガール。

今 ななさんが暮らす地区にある、いわき市のJR湯本駅。
この駅を通る常磐線は、故郷である宮城・亘理町から名取市の高校に通っていたななさんにとって、思い出の電車。

高倉ななさん:
地元の亘理にいる時は、友達との登下校も常磐線を使っていた。フラダンスを習う(仙台の)教室に行く時も常磐線を使っていたので、毎日乗っていたのが思い出

いわき市と宮城は、震災前までJJR常磐線の鉄路でつながっていた。
JR常磐線は、東日本大震災の津波で線路が流されるなど、甚大な被害を受けた。

亘理町の浜吉田駅から福島の相馬駅までの運転が再開され、宮城県内の常磐線が全線開通したのは2016年。震災から5年9カ月かかった。
一方、福島第1原発事故の影響で、震災以降9年間運休していた福島県の浪江駅と富岡駅の間が、3月14日 ようやく運転を再開する。

高倉ななさん:
常磐線も(全線)開通して、宮城の人にも福島の良さを伝えたいし、福島の人にも宮城の良さを伝えていきたい

姉夫婦の家が被災…母は「娘に勇気をもらっている」

小学4年生の時、お母さんに誘われてフラダンスを始めたななさん。
震災の時は、小学6年生。亘理町の自宅は無事だったが、名取市閖上に住んでいた姉夫婦の家が津波で被災した。

高倉ななさん:
フラダンスの教室に通う時は、(閖上の)姉の家に泊まるのが日課だった。(震災の)日もフラダンスの日だったので、ちょっとでも(地震発生)時間がずれていたら、わたしも姉もどうなっていたかわからない

それでも、ハワイアンズで見るフラガールのショーに励まされてきたという。

高倉ななさん:
もう本当にキラキラしていて、踊っているフラガールの笑顔や表情に圧倒されて、『こんなに人を感動させるものがあるんだ!』と。わたしも絶対に、ここに立って、人を感動させられる踊りがしたいと思った

亘理町内にある美容室。ななさんの母・ともえさん(60)は、美容師をしている。

(Q.ななさんはどんな子どもだった?)
ななさんの母・高倉ともえさん:

いつも笑っている。泣いたことがない

ともえさんは17年前、全身に強い痛みが出る線維筋痛症を患い、当時リハビリのために始めたフラダンスに、ななさんを誘ったという。

ななさんの母・高倉ともえさん:
自分が病気した時にハワイアンズに行って、あるダンサーさんの笑顔で、目と目が合った時、『こんな病気に負けていて、どうすんの!?』って、ふと思った。本当は、わたしが一番ななに勇気もらっているの。今もまだ病気とは格闘しているけど、応援しています

入社から思い変わらず…“元気を届けられるダンサーになりたい”

プロとして練習を積み重ねる毎日。どんなにハードでも、いつも、心にある思いは変わらない。

3年前(2017年)の4月、入社式の時の高倉さん(当時18)は、「見てくれた人が『明日から頑張ろう』と勇気づけられるような、元気を届けられるダンサーになりたい」と話していた。

栃木から訪れた女の子:
スカートがフリフリだった

山梨から訪れた女性:
すごい練習しているんだろうなと(思った)。みなさん満面の笑みで、すてきでした

高倉ななさん:
入社当初からあるのは、どんなに端の方で踊っていても、『なんか、あの子に目がいっちゃうな』という、どこにいても元気を発信できるようなダンサーでいたい

(福島・いわき市のスパリゾートハワイアンズは、3月23日まで新型コロナウイルスの影響で、日帰り施設が休園)

福島県内の常磐線沿線で避難指示が解除されたのは、駅の周辺などの一部にとどまっているが、9年途切れていた常磐線がやっとつながることは大きな一歩。
ななさんと家族のように、多くの人をつなぐ鉄路になることが期待される。

(仙台放送)

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