問題児マラドーナ、36年前の衝撃“顔面膝蹴り”に海外再脚光 「戦闘機の先陣として出撃」

バルセロナ時代のディエゴ・マラドーナ【写真:Getty Images】
バルセロナ時代のディエゴ・マラドーナ【写真:Getty Images】

1984年スペイン国王杯決勝、ビルバオに敗れた後に相手選手へ膝蹴りを入れ気絶させる

 元アルゼンチン代表MFディエゴ・マラドーナは、5人抜きドリブル弾や“神の手ゴール”など数々の伝説を刻んできた。一方で、永遠の問題児として知られ、薬物使用や歯に衣着せぬ発言で周囲を驚かせてきた。そのなかで、現役時代に起こした衝撃の大乱闘から36年が経過。海外メディアが“恐怖の膝蹴り”を回顧している。

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 母国アルゼンチンのアルヘンティノスでキャリアをスタートさせたマラドーナは、ボカ・ジュニアーズへのレンタルを経て、1982年にスペインの強豪バルセロナと契約。84年にイタリアのナポリに移籍するまで、2シーズンの間プレーした。

 1983年にはスペイン国王杯(コパ・デル・レイ)を制したが、翌84年5月5日に行われた同決勝アスレティック・ビルバオ戦で問題の瞬間が起こった。

 マドリードのサンティアゴ・ベルナベウで対峙した両者は、以前から因縁が深く、犬猿の仲にあった。序盤に先制を許したバルサは最後まで追いつけず、0-1で涙を呑んだ。試合中から厳しいマークとビルバオ・サポーターの大ブーイングにさらされたマラドーナは、優勝した相手から挑発的なジェスチャーを受けて激昂。ジャージ姿の相手選手の顔面へ膝蹴りを見舞って気絶させ、それを引き金に両チームの選手やスタッフが入り乱れての大乱闘に発展した。

 マラドーナは3カ月出場停止の厳罰を受け、バルサ会長ホセ・ルイス・ヌニェスの怒りを買ってシーズン終了後に放出となった。

 アルゼンチン紙「Ole」は、「ベルナベウの大乱闘から36年:コパ・デル・レイ決勝のバルセロナ対ビルバオはスキャンダルで幕を閉じた。マラドーナとその仲間はパンチとキックで飛び回った」と、当時の衝撃映像とともに回顧。チリのサッカー専門メディア「Red Gol」は「スペインサッカーの歴史の中で最大の乱打戦」と報じた。

 さらに、オランダのサッカー専門誌「Voetbal International」は「マラドーナが戦闘機の先陣として出撃」と表現。英紙「デイリー・ミラー」公式ツイッターは対戦型格闘ゲームになぞらえ、「1984年、ディエゴ・マラドーナと彼の同僚は『モータルコンバット』に参戦。キーパーへの膝蹴りをチェックしてください」と道着の絵文字を添えて報じている。

 36年の月日が経った今も、衝撃の事件は人々の記憶に鮮明に残っているようだ。

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