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天皇杯で躍進、いわきFCを作った2人の男。投資価値が見出されたクラブのあり方【いわきFCの果てなき夢】

天皇杯全日本サッカー選手権でJ1の北海道コンサドーレ札幌を撃破するなど、衝撃的なジャイアントキリング旋風とともに脚光を浴びたいわきFC。2018年はJ1から数えて6部に相当する、東北社会人2部南リーグを主戦場とするアマチュア軍団の源流をたどると、時代が平成になった直後に偶然にも出会った、2人の男に行き着く。異彩を放つ挑戦を追う本シリーズ。第2回はクラブと親会社のトップが、四半世紀近い時空を乗り越えて共有したロマンに迫る。(取材・文:藤江直人)

シリーズ:いわきFCの果てなき夢 text by 藤江直人 photo by Editorial Staff

アメリカの地で出会った二人

いわきFCの代表取締役を務める大倉智氏
いわきFCの代表取締役を務める大倉智氏【写真:編集部】

 福島県いわき市を拠点に、日本サッカー界で異彩を放つチャレンジを加速させているいわきFCの大倉智代表取締役。いわきFCの親会社で、アメリカのスポーツ用品メーカー、アンダーアーマーの日本総代理店を務める株式会社ドーム(本社・東京都江東区)の安田秀一代表取締役CEO。ともに1969年に生まれ、48歳の年男でもある2人は、大学4年生のときにアメリカの地で出会っている。

 卒業後の1992シーズンから日立製作所(現柏レイソル)でプレーすることが決まっていた大倉は、早稲田大学ア式蹴球部の卒業旅行でフロリダ州マイアミを訪れていた。そして、3年次に法政大学体育会アメリカンフットボール部、そして4年次には学生日本代表でもキャプテンを務め、同じく卒業旅行を楽しんでいた安田から声をかけられた。

「安田はものすごく特異な人間というか、記憶力がものすごいんですよ」

 いま現在へと至る原点となる当時のやり取りを、大倉が苦笑いしながら振り返る。

 安田は僕のことを以前から間接的に知っていたわけですよ。僕に限らず、たとえば活躍した水泳選手の顔などもすべて覚えていた。彼に言わせれば『当時のお前はスター選手だったし、とっつきにくかった』みたいな話になるんですけどね」

 社員選手として日立製作所本社サッカー部(現柏レイソル)に加入した大倉は、1995シーズンからのJリーグ昇格に伴ってプロへ転向。ジュビロ磐田、ジャパンフットボールリーグのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)を経て、1998年にアメリカのジャクソンビル・サイクロンズへ移籍。その年の9月に現役を引退した。

 アメリカに渡ったときから、将来はスポーツマネジメントやスポーツビジネスの世界に進むことを視野に入れていた。引退後に向かったのはスペインのバルセロナ。ヨハン・クライフ国際大学でスポーツビジネスを学び、2001年8月からセレッソ大阪のチーム統括ディレクター、2005年からは湘南ベルマーレの強化部長に就任した。

 一方の安田は卒業後に就職した三菱商事を1996年に退社。法政二高時代からの盟友で、卒業旅行でともにマイアミを訪れていた今手義明(現専務取締役兼執行役員CSO)とドームを設立して代表取締役に就いた。アンダーアーマーの日本総代理店となったのは、2年後の1998年だった。

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