ロッテ福浦が助っ人に与えた衝撃と絆 息子に「カズヤ」と名付けたベニーの思い

2004年から2009年までロッテでプレーしたベニー・アグバヤニ【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】
2004年から2009年までロッテでプレーしたベニー・アグバヤニ【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

「こんなに野球と向き合える人間は今までに会ったことがなかった」

 2007年3月28日、西武戦。その日のウィニングボールは今も大事に保管されている。2004年から2009年まで千葉ロッテマリーンズに在籍をしていたベニー・アグバヤニ外野手のものだ。この年の3月24日、ベニーに長男が生まれた。そして3月28日の西武戦(グッドウィル、現・メットライフドーム)でチームは初勝利を挙げた。ベニーは頼み込んでウィニングボールをもらったのだ。

「カズヤが生まれてチーム最初の白星。どうしてもウィニングボールが欲しかったんだ。だから頼み込んで貰った」

 ブルーイン・カズヤ・アグバヤニ。ベニーの長男の名前だ。ミドルネームの「カズヤ」はチームメートの福浦和也内野手に由来する。2004年に来日し、ロッテの一員となったベニーはすぐに福浦と意気投合した。食事を共にしたり、日本野球における色々なアドバイスを受けた。なによりも野球に取り組むそのストイックな姿勢に感銘を受けた。

「彼は本当に研究熱心で驚いた。いつも練習をしていた。全体練習前や試合後にはウェートをしたりとね。なによりも印象深いのは映像を見て研究をしていること。いつも自分の打撃を極めようとフォームのチェックをしていた。こんなに野球と向き合える人間は今までに会ったことがなかった」

 大リーグ通算383試合に出場。299安打、156打点、39本塁打を放ち、ハワイアンパンチの愛称で親しまれた男は日本で出会った1人の侍に強い衝撃を受けた。打撃を極めるべく日々、努力を重ねる姿は今までメジャーで出会った多くの強打者よりも印象深いものだった。だからこそ息子が生まれた時にはその侍の名前をとり「カズヤ」にしようと決めていた。

「突然ね。ベニーに言われたんだ。神妙な感じで息子が生まれたら『カズヤ』と付けたいってね。いやあ、それはビックリしたけど、本当に嬉しかった。光栄の一言。もっともっと頑張らないと申し訳ないなあと思ったね」

 福浦も当時を懐かしそうに振り返る。ベニーは千葉ロッテマリーンズで09年までプレーをして、その年を最後に現役引退。現在は故郷のハワイ・オアフ島でハワイアン航空の職員として第2の人生を歩んでいる。福浦はその後もグラウンドで戦い続けた。満身創痍の中、野球への情熱を失うことなく、ひたすらチームの勝利のために打席に立ち、2018年9月22日の西武戦(ZOZOマリン)でプロ野球史上52人目、球団史上3人目の通算2000本安打を達成した。その一報を遠く、ハワイで聞いたベニーは我がことのように喜んだという。

 あれから1年。希代のヒットメーカーもバットを置く日が来た。背番号「9」は多くの人を魅了し、影響を与え惜しまれながら現役を引退する。ベニーは「彼と一緒にプレーをできたのは光栄なことで幸せなことだった」とハワイからメッセージを送った。ブルーイン・カズヤ・アグバヤニは12歳になった。長い月日が流れたのだ。

(マリーンズ球団広報 梶原紀章)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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