これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載予定)。

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昭和52年:30歳

 新宿から京王線の準急で30分ばかりの丘陵地にある日野市のM団地。

 幸運にも10倍以上の倍率の抽選で当たった3LDKの分譲公団住宅に、父親が初めて訪ねて来た。突然の上京を知らされた恭平は、残業を早目に切り上げ、麻雀の誘いも断っていつもより早く帰宅した。2歳になったばかりの謙祐を膝に抱いた父親は、間も無く5歳になる祥代の手を肩越しに握り、不器用にあやしている。

「やぁ、お帰り」

「あぁ、ただいま…」

 短い他人行儀な挨拶を交し、恭平は上着を脱ぎながら、所在無げに眉間に皺を寄せている父親を盗み見た。

 父親は洗濯し立ての恭平のブルーの縦縞のパジャマを着て、その袖口とズボンの裾を折り返している。

(親父は、俺よりもあんなに小さかったのか…)

 恭平は、一人遅れて夕食を摂りながら父親に話しかける。

「親父さん、今年で63歳だろ。サラリーマンならとっくに定年だよ。そろそろ会社は修平に任せて、ゆっくりすればいいんじゃないの…」

「いや、まだまだそうはいかん。修平は他人の飯を喰ってないせいか、考えが甘い」

 恭平と二つ違いの弟の修平は、父親の会社で常務の肩書を持ち、前年の秋に結婚していた。本来なら長男が家業を継ぐべきところを、自分は家を出て好き勝手な仕事をしていることに、恭平は軽い後ろめたさを感じていた。

「そうかな。それなりに頑張っていると思うけど…」

「一従業員ならともかく、経営者となると、それだけじゃあいかん」

「まあ、そうだろうね。それで、会社は儲かっているの…」

「売上は少しずつ伸びているが、毎月の資金繰りや従業員の確保が、大変だ…」

「最近は飲食業も外食産業なんて呼ばれて、花形産業のひとつになって、就職でも人気があるみたいだけど…」

「いや、それはマスコミが騒いでいる一部の会社だけで、うちみたいな零細企業は逆に苦しくなってきている」