「がんばろうKOBE」のワッペンをユニフォームに付けてプレーするイチロー選手=1995年、神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸(当時)

 イチロー選手は活躍の舞台を大リーグに移した今も、シーズン前の自主トレーニングを神戸で始める。1995年の阪神・淡路大震災では、当時所属していたオリックス・ブルーウェーブで「がんばろうKOBE」のワッペンを付け、快進撃の原動力になった。「震災は忘れないのではなく、忘れられない」。イチロー選手はそう語っていた。

 イチロー選手は1992年、ドラフト4位でオリックスに入団。3年目に200本安打を達成するまでは、無名の選手だった。阪神・淡路大震災の朝は、神戸市西区にあった球団の合宿所の部屋からパンツ1枚で飛び出した。

 まちが悲しみに沈む中、イチロー選手らの活躍でチームは快進撃を続けた。球場には多くの被災者が駆けつけ、95年にリーグ優勝、96年は日本一に輝いた。

 2001年にアメリカに渡った後も、神戸で自主トレを続ける。1月17日に練習場で黙とうをささげる姿をチームメートが見たこともある。大リーグの歴史に新たな名を刻んだイチロー選手の胸には、今も神戸の経験が生きている。

(木村信行)