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神戸の風呂釜製造、一代で大手に 熱意と明るさの名物経営者逝く

2020.01.20
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みなと銀行の矢野恵一朗頭取(左、故人)からルミナリエ募金のパネルを受け取る太田敏郎さん=2002年1月、神戸市中央区、神戸商工会議所

みなと銀行の矢野恵一朗頭取(左、故人)からルミナリエ募金のパネルを受け取る太田敏郎さん=2002年1月、神戸市中央区、神戸商工会議所

 阪神・淡路大震災の鎮魂と復興を願う「神戸ルミナリエ」の継続開催に、地元経済界の立場で奔走したノーリツ名誉会長の太田敏郎さんが15日、震災25年の節目を前に92歳で亡くなった。戦後の神戸で創業した風呂釜メーカーを一代で業界大手に育てた名物経営者。訃報が伝わった20日、熱意と明るい性格で信望を集めた生前を懐かしむ声が相次いだ。

 1995年の震災当時、神戸商工会議所の副会頭を務めていた。同年暮れ、鎮魂行事として初めて催されたルミナリエの式典に出席。「初めて光がともったとき、感動して泣いた」と後に振り返った。

 96年度から神戸商議所が運営の推進役となり、太田さんが資金集めの先頭に立った。企業も復興の最中。自ら100社以上の経営者に直談判し、継続の道筋をつけた。兵庫県の井戸敏三知事は、「(難色を示す)周囲の声に悩むこともあったようだ」と回顧。「ひょうひょうとした明るい性格。とがったところを見せず、神戸財界のまとめ役を担っていただいた」と惜しんだ。

 副会頭在職時を知る関係者によると、会場では押し寄せる来場者の波の中に足を運んだという。口ひげを蓄えた風貌と快活な笑顔で、付いたあだ名が「ルミナリエおじさん」。神戸市の久元喜造市長は「長きにわたって復興、発展に貢献いただいた。感謝と哀悼の意を表する」とのコメントを出した。経営者としても信望を集めた。神戸商議所の家次恒(ひさし)会頭(シスメックス会長兼社長)は「戦後の神戸を代表する起業家、企業人」と賛辞を贈る。

 毎日の入浴が当たり前ではなかった時代に、「お風呂は人を幸せにする」という理念を掲げて事業を拡大。阪神・淡路以降、災害被災地へシャワー施設を提供する活動につながった。役員子弟の入社や派閥を組むことを禁じるなど清廉な人事と社内融和にも努め、ノーリツの國井総一郎社長は「『よーし。思い切ってやれ』と何度も背中を押された。創業の原点を引き継ぐ」と惜別の念を語った。(まとめ・内田尚典)