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東京消防庁の派遣隊員から届いた手紙を手にする素川貴子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・吉田敦史)
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東京消防庁の派遣隊員から届いた手紙を手にする素川貴子さん=神戸市東灘区本山中町4(撮影・吉田敦史)
北村末広さんと妻の浅子さん
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北村末広さんと妻の浅子さん

 JR神戸線と国道2号の間の住宅街、神戸市東灘区本山中町。ここで生まれ育った素川(そがわ)貴子さん(68)は、結婚後も両親と3世代で暮らしていた。

 震災前日の1995年1月16日。「神戸は地震がないからいいね」。夫と話したばかりだった。木造家屋は1階が崩れ、父親の北村末広さん=享年(69)=を失った。

 神戸製鋼でクレーンの運転士をしていて、相撲大会で優勝するほどがっちりした人。一人娘の私には優しくて、グランドピアノを買ってくれて、大学の音楽学部にも行かせてくれた。

 母親はピアノの下に潜り込み助かったが、末広さんはたんすが倒れてきて圧死だった。

 私が2階で子どもたちに「地震や! じっとしとき」と叫んだとき、父が「良太君!」とかわいがってた下の孫の名前を、一度だけ呼んだ。それが、最後の言葉になりましたね。

 母は救出されたが、父は翌日も、がれきの下敷きのままだった。

 応援に来た消防の人に「父が埋まってるんです」と頼んだけれど、声がしないので、後回しになって。仕方ないと思ったけど、がっくりしました。

 家族は、神戸市垂水区に避難した。4月になって、1通の書留が転送されてきた。差出人は東京消防庁の派遣隊員。供養料として現金が同封されている。驚きつつ封を切ると、丁寧な字でつづられていた。

 〈あの時点の救助の優先順位としては、第一に生存者で、北村様の救出は後に回さざるを得ませんでした。後日、家族の人に救出されたと聞かされ、胸が締め付けられる思いがしました。私たちの手で救出できなかった事をお許し下さい〉

 〈北村様のおかげで、2名の生存者を救出することができたのも事実です。本当に本当にありがとうございました。そして大変申し訳ありませんでした〉

 すがりつくようにお願いしたから、覚えてくれていたのかもしれません。なぜ来てくれなかったのかという思いが感謝に変わり、すぐに電話をしました。父親の代わりに2人助けられたんやね。それは、本当によかった。

 本山中町で自宅を再建するつもりはなかったが、母が戻ることを強く望んだ。その母もがんで逝った。震災からちょうど10年目。2004年1月17日だった。

 不思議な話やけど私が命日を忘れんように、父親と同じ日に亡くなってくれたんと違うかな。

 両親の思い出が詰まった街に慰霊碑ができ、初めての1・17を迎える。

 碑を建ててもらい、両親も喜んでいると思います。今年は仏壇にしまっているあの手紙を、孫たちに見せるつもりです。(田中真治)

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