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生まれ育ち、長く住んだ東京を離れ、現在は兵庫に居を移す松本。盟友大滝詠一へ感謝しながら、「君は天然色」の創作秘話を明かした=神戸市中央区、神戸にしむら珈琲店・北野坂店(撮影・大山伸一郎)
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生まれ育ち、長く住んだ東京を離れ、現在は兵庫に居を移す松本。盟友大滝詠一へ感謝しながら、「君は天然色」の創作秘話を明かした=神戸市中央区、神戸にしむら珈琲店・北野坂店(撮影・大山伸一郎)

 〈♪くちびるつんと尖らせて~〉。CMで繰り返し流れる軽やかなメロディー。名曲「君は天然色」は、Jポップ界に一時代を築いた松本隆と大滝詠一が1981年に世に送り出した。4月からはアニメドラマ「かくしごと」(サンテレビ)のエンディングテーマにも採用されるなど、時代を超えて人を引きつける。だが名作誕生の裏には、明るく透き通るような曲のイメージからは思いもよらない苦悩と救いの物語があった。作詞家生活50周年を迎える松本が語った。(津谷治英)

 作曲の大滝、作詞の松本は70年代前半、「日本語ロック」を浸透させたロックバンド「はっぴいえんど」で出会った。その後の日本の音楽界に多大な影響を与えた細野晴臣、鈴木茂もいた。

 バンドは3枚のアルバムを発表し、わずか3年足らずで解散する。しかし松本と大滝は、後に大ヒットしたアルバム「A LONG VACATION」制作で再会。「君は天然色」はその一曲だ。

 「A LONG VACATION」は大滝が勝負をかけた1枚だった。当初、発売日を自らの誕生日に設定していたことからも、力の入れようが分かる。だから盟友の松本に作詞を頼んだ。

 ところが、実際の発売は半年以上遅れる。松本の大スランプが原因だった。

 完成前年、松本は妹の死に直面した。幼少から心臓が弱く、両親から面倒を見るように言われて育った妹だった。小学校の登下校の途中は代わりにランドセルを持ったこともある。仲の良い兄妹だった。

 その妹が26歳の若さで世を去った。ショックは大きく、言葉も出なくなった。

 「好きな喫茶店、レコード店が並ぶ渋谷を歩いていると、目の前の光景が白黒に見えた」

 大滝に他の作詞家を探してくれるよう頼んだ。だが、大滝は松本の才能を信じて待った。そして浮かんだ歌詞が、「君は天然色」の次のフレーズだった。

 〈♪想い出はモノクローム〉

 懐かしい恋を思い出す心象風景と思った人は多いだろう。だが真実は妹を失い、どん底の精神状況で見た街の色だった。

 「その時のことを書き残すことは、妹のためにも大事だと思った。つくりものじゃなく、正直に。僕にしかできないことだから」

 曲はこう続く。

 〈♪色を点けてくれ~〉

 「人が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい。染めてほしいとの願いだった」

 松本はその後、多くの作品で場面や心の風景を色で表現する。その序章はモノクロームだった。

 「A LONG VACATION」は、松本にとって転機となり、この後、音楽史に残る名曲を残していく。

 80年代を代表するアイドル松田聖子は、公式サイトによると、デビュー以来40以上の音楽賞を受賞し、シングルチャート24曲連続1位と、令和の時代では想像もできないほどの存在感を放った。数え切れないヒット曲の中でファンたちが代表曲に推し、タモリも音楽番組で「名曲」と絶賛したのが、松本が作詞を担当した「赤いスイートピー」(82年)だ。

 〈♪春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ〉

 どんな色の車両だろうと想像を巡らせるファンたち。せつない声でささやくように歌詞は続く。

 短編映画のような世界をつくり出し、全国の少年の胸を締め付けただけでなく、新たな女性ファンの開拓にも貢献した。

 「探偵物語」(83年、薬師丸ひろ子)、「魔女」(85年、小泉今日子)、「卒業」(85年、斉藤由貴)。

 アイドルたちと伴走した華やかな軌跡。松田聖子に提供した「風立ちぬ」(81年)は、大滝との共作だ。

 大滝はアメリカンポップスに詳しく洋楽に憧れていた。だが、「いつまでも残る深い作品をつくるには日本語でないとダメだ」と主張する松本を理解してくれた。「落語が好きで、日本文化に親しんでいた人だったからだと思う」と懐かしむ。

 大滝は2013年12月に65歳で世を去った。2千曲を超える作品を残し、Jポップ界に金字塔を打ち立てた松本は、大滝に最後の言葉をささげた。

 「僕らが灰になって消滅しても、残した作品は永遠に不死だ」

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