<出会う>京都のひと

「15歳から修業に入って、とうふ造りにのめり込んでいきました。親父に近づきたい一心で」

大豆本来の旨味にこだわった独自のとうふ造り。

永井の純とうふ 経営者 永井増治

■88歳まで現役だった親父が目標

天秤棒を担いでとうふを売る、江戸職人の姿が暖簾(のれん)にはためく。

創業は幕末まで遡る。とうふがまだ日常食でなかった時代に「塩彦とうふ」という名で生業にしていた。行商用の天秤棒と桶が残っていて、そこに刻まれた文久の年号が家業の歴史を物語っていた。幾星霜のうち、家長が急逝し、跡取がまだ幼少だったことからいったんは途絶えたが、昭和9年に祖父が再開、そこから数えて永井増治さんで3代目となる。

物集女街道沿いに店舗を構え間もなく半世紀になる。

■厳しい修業時代、気づけばとうふ造りに誠心

永井さんが父・一夫さんのもとで修業をはじめたのは15歳のとき。毎日の仕事といえば、お竃(くど)さんにくべる薪割りと、大豆を洗うばかり。配達は自転車で半日がかり。まだ物集女(もずめ)から西山までとうふ屋が一軒もない時代のこと、うら淋しい峠を越えて大原野まで自転車を走らせた。

「明治生まれの親父はなんにも教えてくれません。見て学べという昔気質の職人でしたから。豆乳の濃度、櫂の入れかた、力加減、傍で見て学びました」。

修業の身も10年が経ったある日。

「ぜったい釜に触るなよと言いおいて、親父がその場を離れたんです。もうすべての手順が頭に入っている私は、自分でできる自信があった。だから黙って残りの作業をしてしまったんです、怒られるだろうなとドキドキしながらね」。

一人前の職人として親父に認められたい一心であった。それから間もなく永井さんは結婚を機に独立し、現在の樫原に店を構える。

大豆を煮る前にまず砕いて豆乳を搾りだす生しぼり製法だから、大豆の香りと味が濃厚な純とうふ。

■親父を越えたい 生しぼり製法にたどり着く

とうふ造り一筋に、気づけば58年歩みつづけた永井さん。永井さんのつくる純とうふは、世にも稀な食感をもつ。たとえば木綿とうふ一つとっても、しっかり箸でつかめるのに、口中に入れるとふわりと蕩(とろ)けるようになめらかなのだ。

「普通のとうふは、表皮のところに大豆特有のエグミがあるのですが、この生しぼりには、それがない。昔に近い味、青臭さのない、大豆そのものの味です」。

永井さんが、この純とうふを造り始めたのは30年ほど前のこと。不惑の年代に入って、普通ならそこで満足するところ、永井さんは違う。とうふ造りに研鑽を重ねる。何げなく見た『美味しんぼ』にヒントを得て、古代中国から伝わった生しぼり製法を試した。

揚げ、がんも、揚げ出しどうふなど丹念に揚げるのは妻孝子さんの仕事。

通常の作り方は、まず大豆を煮てから豆乳とおからに分ける。それに対して、生の大豆から豆乳をしぼって、それを煮て、天然の塩田にがりを加えるのが生しぼり製法だ。

「歩留(ぶど)まりが悪くて商いとしては不向き。なにを物好きなことをしているんか、といわれますが、コクがあって大豆の味が格別なんです。あくまで大豆のうまみにこだわってとうふを造っています」。

永井さんの目標は88歳まで現役で豆腐をつくっていた親父だ。

(2018年1月10日発行ハンケイ500m vol.41掲載)

不純物を除去した純水使用。4代目の幸治さんは、創作料理とのコラボなど新たなとうふの可能性を追究。

永井の純とうふ

京都市西京区樫原畔ノ海道10-58

▽TEL:0120229968

▽営業時間:10時~ 19時

▽定休:日