尖閣諸島を「安保条約の適用範囲」と米に言わせて喜ぶ日本の怠慢

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今年で60周年の節目を迎えた日米安保条約。1月17日には両国による「今後も同盟を強化する」との共同発表が行なわれましたが、これを高く評価するのは情報戦略アナリストの山岡鉄秀さんです。山岡さんは今回、無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』にその理由を記すとともに、60周年という節目を期に「日本人が真剣に考えるべきこと」を提示しています。

安保条約60周年日米共同発表で日本人が真剣に考えるべきこと

全世界のアメ通読者の皆様、山岡鉄秀です。

1月19日で日米安全保障条約が署名されてから60年が経ったそうです。1月17日には、茂木敏充外相、河野太郎防衛相、米国のポンぺオ国務長官、エスパー国防長官の4人の名前で、「日米安全保障条約の署名60周年に際する共同発表」が行われました。

内容を要約すると、「安保条約を結んだ先人たちの英知と勇気と先見の明に敬意を表し、今後も日米同盟を強化し、日米両国が共有する価値と諸原則を堅持するとのゆるぎない決意を改めて表明する」というものです。

総理がどんなに支持層から反対されても習近平を国賓で招くと宣言する一方で、このような宣言が出される。政権内でも親中派と親米派のせめぎあいがあることがわかります。

また、「日米同盟は自由で開かれたインド太平洋という両国が共有するビジョンを実現」というくだりがあるのは、明らかに強烈な対中牽制です。

もちろん、日本が自由民主主義国家であり続けることを望むならば、今はこの宣言どおりに日米同盟を一層強化するしか道がありません。

しかし、この機会に日本国民は胸に手を当ててよく考えるべきです。

まず、当たり前ではありますが、日米安保条約は集団的自衛権の行使に他なりません。このことは新旧安保条約の両方に明記してあります。

日本が戦後独立を果たしたサンフランシスコ講和条約に書かれているとおり、独立を認めるということは自衛権を回復させることであり、自衛権は個別的自衛権も集団的自衛権も含みます。

そこで、日本は独立を果たすと同時に日米安保条約に署名することで、日本の安全保障のためにさっそく集団的自衛権を行使したのです。

たとえ憲法9条があっても、日本中に世界最強の米軍が展開すれば、攻めてくる国はまずありません。自分自身の軍備は補完的なものにとどめて、経済活動に邁進して復興に努める。

その戦略は一応成功しましたが、時代は変わります。ごまかしが通用する時代ではなくなりました。

ごまかしとは何でしょうか?

日本政府は、自らの安全保障政策の根幹が集団的自衛権に依拠しているくせに、「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権の行使は違憲」という意味不明の見解を表明してきました。

それが平成27年になってやっと平和安全法制で自衛隊法の一部を改正して、日本国の存立が危ぶまれる事態に瀕した際は限定的に集団的自衛権を行使できる、という解釈に変更しました。

日本政府は長いこと、集団的自衛権の名のもとに、日本と直接関係ない米国の戦争に巻き込まれたらたまらない、という本能的恐怖感に基づいて、「集団的自衛権」が存在しないかのようなふりをしてきました。

その気持ちはもちろんよくわかります。しかし、それがごまかしだと言っているのです。

国際法上、集団的自衛権の保有と行使が認められていて、日米安保条約はまさに集団的自衛権の行使なのですから、集団的自衛権が違憲だという議論は全く意味を成しません。

違憲だというならさっさと日米安保条約を解消すべきです。

実際には日米安保にべったりと依存し、民主党政権でさえ、尖閣諸島が安保条約の適用範囲だというヒラリー国務長官の発言に手をたたいて喜ぶ有様です。

これ、恥ずかしくないですか?

議論すべきは違憲か合憲かではなく、合憲を前提として、集団的自衛権をどのような局面でどこまで適用するか、です。

平和安全法制はそういうことを考えざるを得なかったからやったわけですが、「国家存立事態」では曖昧過ぎます。タブーを恐れず、もっと個別具体的に考え、議論し続けなければなりません。

今や集団的自衛権の適用範囲は宇宙空間にまで広がろうとしているのです。

野党の「戦争法案」というレッテル貼りは、日本を侵略したい国の工作だと見なされても仕方ありません。

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