三塁側の佐世保実の応援席には母、一塁側には姉。母は「できるだけ近くで応援したくて」、姉は「弟が見える位置がいいから」。2人が見守ったのは記録員としてベンチ入りした佐世保実のマネジャー、清水哲也(3年)。制服姿の高校球児だった。
「父親も兄もいない。でも、他の子と同じようにしてあげたい」。哲也が小学生でソフトボールを始めたころ、母親の真弓さん(49)はよくキャッチボールに誘った。息子はそれが「恥ずかしかった」が、思いは理解できた。「応援してくれてるんだ、頑張ろう」。懸命に努力を重ね、皆瀬小時代はエースで4番、中里中では軟式野球部で左翼手として活躍した。
そんな息子の姿は「仕事で疲れていても励まされた。生きがいだった」。そして、佐世保実に進学した年の8月、初めて背番号「20」をもらってきた夜は、縫い付ける手に力がこもった。
転機はその年の冬。右肩を故障していた息子が突然言ってきた。「マネジャーになりたい」。困惑した。「今までの苦労を無駄にしてごめん。でも、これならチームの力になれる」。泣きながら訴える息子を受け入れられなかった。実力校で限界を感じたんだろうか。「初めは逃げだと思った」
そんな母の気持ちを動かしたのは、息子の行動だった。練習用に与えられた背番号のないユニホームを自分で洗う姿、仲間の“食トレ”のために「おいしいご飯の炊き方を教えてくれん」と聞いてきたときの本気度-。「哲也の支えるチームを応援したい」。姉の千穂さん(20)と一緒に、以前と同じ思いで応援できるようになった。
この日、チームは敗れた。でも、試合後、新川監督が言ってくれた。「ここまで来られたのは“てっちゃん”がいたから」と。親子にとっては、これ以上ない褒め言葉だった。そして母と息子は最後に、同じ思いを口にした。「野球を続けてくれて」「続けさせてくれて」「ありがとう」
故障でマネジャーに転向 チーム支えた息子の本気度 母と姉も同じ思いで応援
- Published
- 2018/07/19 11:38 (JST)
- Updated
- 2018/12/10 17:47 (JST)
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