4月から被災地の南三陸町職員 「復興の一助に」と転職 南島原市職員・佐藤守謹さん 背中押した家族と新天地へ

「南三陸町の復興の一助になりたい」と決意を新たにする佐藤さん=南島原市南有馬町

 公務員生活20年で培った経験や知識を被災地のために-。南島原市職員、佐藤守謹(もりちか)さん(40)が今春退職、4月1日付で東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の職員に転職する。震災から9年がたち、住まいやインフラは整備され、街は徐々ににぎわいを取り戻しつつあるが、大切な家族をはじめ自宅や地域のつながりを奪われた被災者一人一人の喪失感は計り知れない。「復興は簡単なものではないが、一助になりたい」と決意を新たにしている。

 長崎県南島原市南有馬町出身。2000年、旧同町役場に入庁以来、農林、総務関係の仕事に従事してきた。きっかけは震災直後の11年4月。県の災害派遣チームとして岩手県陸前高田市に入り、物資の仕分けや避難所の支援に回った。その時はわずか2週間で後続と交代。「何もできなかった」という思いだった。
 その後、南島原市の職員派遣で南三陸町へ。15年4月に現地入り。最初の2年は町づくりの指針となる第2次総合計画の策定作業を担当。残り2年は毎月発行される広報紙の取材・編集に携わった。
 大震災で壊滅的な被害を受けた南三陸町。死者620人、行方不明者211人(2月末現在、同町調べ)。多くの尊い人命、財産を一瞬にして失った。
 心掛けたのが「笑い」。町内の飲食店を取材で訪れた時、男性店主の「笑った時だけ、震災のつらい記憶を忘れられる」との言葉が心に響いた。「この町には笑顔が必要だ」と思った。赴任最後の正月号の表紙は町内の全幼児施設を回って撮りためた子ども約200人の笑顔を一挙掲載した。
 昨年3月に任期を終え、南島原市に戻った。「やり遂げた」はずだったが、被災地の惨状を報道で知るたび「まだまだ、やることがある」との思いは募った。「力を貸してほしい」。一緒に汗を流した南三陸町の職員にも誘われた。
 「一度きりの人生。後悔はしたくない。復興の力になりたい」。1月に行われた同町の入庁試験を受験。家族も「行きたいんでしょ」と背中を押した。高校進学を控えていた中学3年の長女(15)の「宮城の高校のこと調べてたよ」との言葉がうれしかった。
 配属先は「商工観光課」に決まった。「20年間行政職員として育ててくれた南島原市の皆さんには感謝しかない。期待と不安が交錯しているが、自信を持って前に進みたい」。29日、一家4人で南三陸町へ旅立った。きょう30日現地に到着する。「復興は道半ば。被災者が前を向いて歩み出せる日まで、一緒に伴走していく存在でありたい」

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