「長崎の証言の会」代表委員 内田伯さん死去 被爆校舎保存に尽力 90歳

「長崎の証言の会」代表委員 内田伯さん

 「長崎の証言の会」代表委員で、戦後、長崎の爆心地の町並みを地図上に復元させる市民運動や、旧城山国民学校(現在の長崎市立城山小、爆心地から約500メートル)の被爆校舎保存運動などに尽力した被爆者、内田伯(うちだ・つかさ)氏が6日午後5時32分、急性肺炎のため、長崎市の病院で死去した。90歳。南島原市出身。自宅は長崎市松山町。葬儀・告別式は8日午後1時から長崎市茂里町3の31、法倫会館で近親者のみで執り行う。喪主は妻陽子(ようこ)さん。
 15歳だった旧制県立瓊浦中4年生の時、学徒動員されていた三菱長崎兵器製作所大橋工場(爆心地から約1.4キロ)で被爆。重傷を負い、大村海軍病院で手術を受けた。一命は取り留めたが、自宅があった爆心地の松山町は壊滅。家にいた父親、幼いきょうだい3人、叔母の5人を失った。
 市職員の傍ら1969年、現在の「長崎の証言の会」設立に携わったのを手始めに、70年には松山町の被災状況の把握などを目的に、生き残った元住民らと「松山町原爆被爆復元の会」を発足。閃光(せんこう)に消えたかつての松山の町並みを地図上に復元させる市民運動を始めた。運動の輪はほかの町にも広がり、80年、計48町の91.8%を復元するなどの成果を収めた。
 79年、母校の城山小被爆校舎の解体方針が示されたことに反対し、保存運動に奔走。一部保存が実現し、その「旧城山国民学校校舎」などは2016年、「長崎原爆遺跡」として国指定史跡となった。晩年まで被爆の語り部を務め、同校舎の世界文化遺産登録に向けた活動にも取り組んでいた。

 


© 株式会社長崎新聞社