人間とはなんとすぐれた生きものだろう。この言葉には誰もが強く同意するに違いない。他の生物と比べてみれば、人間という存在は明らかに際立っている。
だが、先日、原始的な特徴と現代的な特徴をあわせもつヒト属の新種ホモ・ナレディが発見された。もちろん、ホモ・ナレディは人間(ホモ・サピエンス)ではないけれど、実際のところ、類人猿のみならず動物全体の中でホモ・サピエンスを唯一無二のものとしているのは何なのだろう。そして、私たちの祖先は、その「何か」をいつどのように獲得したのだろうか。(参考記事:「小顔のヒト属新種ホモ・ナレディを発見、南ア」)
過去100年で、おびただしい数の学説が出されている。中には、人類の進化についてだけでなく、提唱者の生きた時代を物語る説もある。12の主な仮説を紹介しつつ、この機会に考えてみたい。
1.道具を作る
人類学者ケネス・オークリーは、1944年の論文で「ヒトが独特なのは道具を作る点だ」と書いた。見つけた物を道具として使う行動は類人猿にも見られると説明しつつ、オークリーは「特定の用途に合わせて棒や石の形を変えるのは、明らかに人間らしい最初の活動だった」と述べた。1960年代初め、古人類学者ルイス・リーキーは、道具作りを始めてヒトへと進化したのが、約280万年前に東アフリカに住んでいた「ホモ・ハビリス」(器用な人)という種だとした。だが、ジェーン・グドール氏らの研究で明らかにされたように、チンパンジーも特定の用途のために棒から道具を作れる。例えば枝切れから葉を落として、地中にいる虫を「釣る」こともできるのだ。手のないカラスさえも非常に器用な行動を見せる。(参考記事:「動物の知力―言葉を話す、仲間をだます、道具を考え出す」)
2.殺し屋
人類学者レイモンド・ダートによれば、現生の類人猿と我々の祖先との違いは、常習的に殺りくをする攻撃性にあるという。すなわち我々の祖先は「生きた獲物を乱暴に捕らえ、息絶えるまで殴打し、死骸を八つ裂きにし、その温かい血をすすり、苦悶しつつ死んだ青ざめた獣の肉をむさぼり食うことで、飽くことのない飢えを満たしていた」肉食生物だというのだ。今読むと安っぽい小説のようだが、第二次世界大戦の大量殺戮の記憶がまだ新しかった1953年には、ダートの「キラーエイプ仮説」は人々の共感を呼んだ。(参考記事:「人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか」)
3.食料を分かち合う
1960年代になると、キラーエイプよりもヒッピー的な人間観が主流になった。人類学者グリン・アイザックは、動物が死んだ地点から別の地点へ意図的に死骸が移された証拠を発見。運ばれた先で、動物の肉が共同体全員に分配されたと考えた。アイザックの見方では、食料の分配が始まると、どこに食料があるかという情報共有の必要が生じる。これにより、言語など人間に特有の社会的な振る舞いが発達したとされた。
4.裸で泳ぐ
そのしばらく後、「水瓶座の時代」とも呼ばれるニューエイジ・ムーブメントの頃に、脚本家のエレイン・モーガンが新たな説を広めた。ヒトが他の霊長類とこうも違うのは、水辺および水中という異なった環境で進化したからというものだ。体毛が薄くなるとより速く泳げるようになり、二足歩行によって水中を歩きやすくなった。この「水生類人猿説」は現在、科学界では一般に否定されているが、2013年に英国の博物学者でTVプレゼンターのデイビッド・アッテンボロー氏がこの説を支持した。
5.物を投げる
人類学者リード・フェリング氏は、我々の祖先がヒトへと進化したのは、石を速く投げる能力を身につけたときだと考えている。旧ソビエト連邦ジョージア(グルジア)のドマニシには、約180万年以前の初期人類の遺跡がある。フェリング氏はここで、ホモ・エレクトスが集団で石を投げ、襲ってくる野生動物を追い払って獲物を守っていた証拠を見つけた。「ドマニシの人々は小柄でした」とフェリング氏。「この一帯は大型のネコ科動物がそこかしこにいました。どうやって身を守り、アフリカからここまでたどり着いたのでしょうか? 答えの1つは、投石です」。動物への投石は人類の社会化ももたらしたとフェリング氏は主張する。成功するためにはチームワークが必要だからだ。(参考記事:「「初期人類はすべて同一種」とする新説」)