“痕跡器官”とされた脾臓の役割解明

2009.07.30
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人間の消化器系を示すイメージ図。左上に腎臓に似た形をした紫色の脾臓がある。2009年7月に発表された研究によると、マウスを対象に調査した結果、役立たずと思われていた脾臓は、実際には損傷を受けた心臓の回復に欠かせない役割を果たしていることがわかった。

Illustration by MedicalRF.com/Visuals Unlimited
 人体には虫垂や扁桃腺(へんとうせん)、余った血流路など、痕跡器官と呼ばれる臓器が存在している。進化の名残ともいえるこのような器官は、あっても無くても人体にはそれほど影響がないと考えられてきた。しかし、医療研究技術の発達に伴い、痕跡器官にも実際には懸命に働いている臓器があることがわかってきた。 痕跡器官の好例が脾臓(ひぞう)である。最新の研究によると、損傷を受けた心臓の回復に欠かせない役割を果たしていることが判明したという。脾臓は腎臓に似た形で腹部の左上部分にある。感染を検知する役割や、損傷を受けたり古くなった赤血球を破壊する機能を持つ。しかしこの臓器を切除しても人は生きていくことができるので、不必要なものだと考えられてきた。

「Science」誌の7月31日号に掲載された今回の研究では、脾蔵に大変重要な役割があることがわかった。

 研究チームがマウスで調べたところ、多数の単球(単核白血球)が脾臓に貯蔵されていることがわかった。単球は白血球細胞の一種で、免疫防御や組織修復に欠かせない存在である。単球はほかの種類の白血球細胞と同様に骨髄だけで生成され、血流中に貯蔵されると考えられてきた。

 しかし脾臓の単球は血液中の10倍余りに及び、血液より圧倒的に重要な単球の貯蔵庫であることがわかった。このような特性から、脾臓の役割は大きく見直されることになる。研究チームの一員で、アメリカのマサチューセッツ州ボストンにあるマサチューセッツ総合病院システム生物学センターのフィリップ・スウィルスキ氏は次のように説明する。

「研究用マウスが心臓発作後に健康状態を取り戻す際、回復に関与した単球の40~50%は脾臓に由来するものであった。心臓発作を生き延びるには、心臓機能が適切に回復する必要があり、その回復は損傷部位の修復に携わる単球に依存する。これまで、発作後すぐに心臓に単球が蓄積するのは、血液中を循環していた単球が集まるためと考えられてきた。しかし、計算の結果、心臓に蓄積した単球の数が血液循環中の単球の数をはるかに上回ることが判明した。一方、脾臓を切除してから心臓発作を誘発したマウスの場合、蓄積した単球の数は大幅に少なかった」。

 簡単に言えば、脾臓のないマウスは、脾臓のあるマウスと同等の水準で回復することができなかったのだ。

 この現象は人間にも当てはまると考えられる。1977年に医療学術雑誌「The Lancet」に発表された研究では、第二次世界大戦の帰還兵の健康状態を20年にわたり追跡調査しており、その中には脾臓を持つ人も、戦争中の負傷が原因で脾臓を失った人も含まれていた。

 そして、脾臓のない人は、脾臓のある人に比べて心臓病や肺炎で命を落とす確率が2倍も高かったことが判明している。「当時も脾臓が重要な役割を果たしていることは理解されていたが、その仕組みがわかっていなかった」とスウィルスキ氏は話す。

 アメリカのニューヨーク市にあるマウントサイナイ医科大学で解剖学および機能形態学の代表を務め、アメリカ解剖学会(AAA)次期会長のジェフリー・ライトマン氏は、今回の研究を受けて次のように話す。

「このような研究結果は驚くことではない。役立たずと言われ続けた臓器でも、その役割を理解できるほど医療科学が発達していなかっただけという事例は歴史上にたくさんある。切除しても生きていけるという考え方は非常に危険だ。健康な臓器をむやみに切除すると、大きな代償を払うことになる可能性がある」。

 医療技術が十分に発達した先進国の生活環境が、痕跡器官の重要な機能を見えなくさせていることもある。その典型が虫垂である。盲腸の端にぶら下がるように付いている細い管状の虫垂は、おそらく役立たず臓器として最も有名だろう。しかし、虫垂にも重要な機能があったのだ。

 その役割は、2007年に「Journal of Theoretical Biology」誌に発表された研究で明らかになった。研究チームの一員でデューク大学医療センターの外科部門助教授ビル・パーカー氏は、「あまりに清潔な環境にいる動物や人間を研究しているだけでは、虫垂の機能を解明するのは困難だろう」と指摘する。

 虫垂は役立たずどころか、実際には食料の消化を助ける善玉菌の貴重な貯蔵庫だった。「虫垂は、非衛生的で寄生虫の多い環境に合わせて進化した結果だ。下痢性疾患が当たり前のように広がる地域では、病後の腸内善玉菌の回復に虫垂が欠かせない」とパーカー氏は話す。

 前述したマウントサイナイ医科大学のライトマン氏によると、生活様式と人体の組織構造が大きくかけ離れたもう1つの典型として、側副血行路が挙げられるという。通常の血流路が詰まった場合や損傷を受けた場合に、ある種の静脈や動脈が別の道を確保する。これが側副血行路であるが、少なくとも現在では痕跡器官と考えられている。

 ライトマン氏は、「ひじやひざ、肩などには側副血行路があるが、脳の大部分や心臓にはそれがない。なぜ命にかかわる器官にはなくて、ひじにはあるのか? 脳卒中や心筋梗塞(しんきんこうそく)にかかる年齢が50代や60代であることを考えればわかるだろう。人体の設計図が固まった頃には、そこまで長生きする人はいなかったんだ」と話す。

 はるか昔、狩猟採集を行い現代よりもはるかに短い人生を営んでいた原始の人類の時代に、私たちの体は形作られた。その事実が役立たず臓器を理解するカギだとライトマン氏は言う。「私たちの暮らす環境は大きく変わった。しかし、私たちの体はそれほど変わっていない」。

Illustration by MedicalRF.com/Visuals Unlimited

文=Maggie Koerth-Baker

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