絶景で有名なスポットが、まっ平らな大地だということはあまりない。そそり立つヒマラヤの山々から、大地が深く刻まれた米国のグランドキャニオンまで、並外れて美しいとされる地形には高低差がある場合が多い。平面に地図を描く人たちにとって、とりわけやっかいなのがこうした場所だ。(参考記事:「傷つけられるグランドキャニオン」)
地図上に起伏を表現する技法は、その多くがコンピューターのなかった時代に、人々の試行錯誤の末に生み出された。
現存する世界最古級の地図の一つは、4000年以上前のメソポタミアで作られたもので、土器の板の表面に刻まれており、山々は小さな半円形を連ねて表現されている。その後長い間、地図技法に大きな進歩は見られなかった。
ルネサンス期になると、格段に洗練された技法が登場する。コンパスを使った地形測量が初めて行われ、高さが正確に測られるようになった。この時代に開発されたケバ図法では、線(ケバ)を描くことによって斜面の方向と勾配を表現する。1807年に製作された下の地図は、ケバ図法を用いてメキシコのオリサバ火山を描いている。(参考記事:「米国で見つかった日本の軍事機密「地図」14点」)
ぼかし(レリーフ)法は、山などの垂直に伸びる地形が落とす影を模した陰影を、地図に表現する技法だ。初期の例としては、レオナルド・ダ・ヴィンチが手がけた美しいイタリア・トスカーナ地方の地図がある。(参考記事:「ビジュアル ダ・ヴィンチ全記録」)
ぼかし技法が頂点に達したのは、20世紀半ばのスイスにおいてであった。米国立公園局やナショナル ジオグラフィック協会に所属する米国の地図製作者たちは、本場で技術を学び、共同研究を行うために、頻繁にスイスに赴いた。(参考記事:「南極から月面まで、ナショジオ100年の地図」)
豪ロイヤル・メルボルン工科大学のバーナード・ジェニー氏によると、スイスが当時開発した技法の中には、今も現役で使われているものもあるという。その多くを手がけたのが、チューリッヒ工科大学のエデュアルド・インホーフ教授だ。インホーフ氏が執筆したぼかし技法についての書籍は、1965年にドイツで初版が出版され、現在も地図製作に関わる人々の必読書となっている。(参考記事:「地図は生きものである。」)
インホーフ氏の業績の中でも特にすばらしいのが、山頂に立って地平線を眺めたとき、大気中のもやの影響で、遠くの山よりも近くの山の方がはっきり見えることを利用した点であるとジェニー氏は言う。インホーフ氏はこの現象を再現するために、地図を見ている側に、まるで衛星か飛行機から大地を見下ろしているかのように感じられる、上からの視点を与えた。「最も高い山は地図を見ている人間に最も近いため、はっきりとした強いコントラストで描き、逆に低い谷は最も遠いため、ぼんやりとした弱いコントラストで描くのです」(参考記事:「ドローン空撮コンテスト、圧巻の入賞写真9点」)
インホーフ氏の手によるスイス・グラウビュンデン地方の地図には、この手法が生かされている。
インホーフ氏や彼と同時代のスイス人はまた、光の扱いにも長けていた。上の地図では、光は主に北西の方角から差している。少し考えれば、これはおかしな話だと気づくだろう。スイスは北半球にあり、太陽は常に南の空にあるはずだからだ。しかしスイスの人々は、人間の脳が地図や衛星写真に描かれた尾根と谷とを混同しやすいこと、そしてそれを防ぐためには、光を北西からあてればいいことを知っていた。そうした現象が起こる理由は今も解明されていないが、例として下に挙げた2つの図を見比べてみてほしい。
スイスを拠点とする2人の研究者、ユリアン・ビランド氏とアルズ・チョルテキン氏は、今年発表した研究において、さまざまな角度から光をあてた地形の画像を27人の被験者に見せ、前述のような錯覚が最も起こりにくい光の角度は337.5度であることを突き止めた。これは地図製作において昔から使われてきた北西315度という角度を、少しだけ北にずらした数値だ。
現代では、光の角度など、起伏の認知に影響を及ぼす要素を、コンピューター上で簡単に調節できるようになった。米ウィスコンシン州マディソンの地図製作者、ダニエル・ハフマン氏はこれをさらに発展させ、3Dモデリングソフトを使って、光が反射する様子を再現しようとしている。「現実世界の光は、地表から地表へと反射を繰り返します」。こうした光の動きをとらえることで、地図はよりリアルに見えてくるのだとハフマン氏は言う。
しかしコンピューターの登場以前、光を正確に描くには大変な労力が必要とされた。とりわけ手間を要した技法の一つが、1920年代に開発された通称「ヴェンショウ法」で、これは石膏で地形の模型を作り、それを写真に撮るというものだった。
この技法は結局、広く使われることはなかったとジェニー氏は言う。その理由は、一つには光の角度を固定することが、必ずしもいい結果を生まないからだ。たとえば先ほど例に挙げたインホーフ氏のグラウビュンデン地方の地図では、北西から光をあてた場合、画面の左上隅から下に伸びている短い尾根は、両側が同等に照らされることになり、そのせいで実際よりも平らに見えてしまう。この問題を回避するため、インホーフ氏はその部分だけ光を西にずらし、尾根の東側に影を落とすことで、より高く見えるように工夫している。(参考記事:「月の北極、陰影のモザイク」)
国立公園局で地図を製作していたビル・フォン・アルメン氏は、地形図の等高線を白い紙に写し取るというやり方を考案した。フォン・アルメン氏はその等高線を頼りに、山の斜面にエアブラシで何週間もかけて影を描き込んだ。影を描き終えたら薬品を使って等高線を消し、影だけを紙に残すのだ。
色を利用して高低差を表現するという試みも、100年以上前から続けられている。19世紀半ばのオーストリアでは、アルプスなど欧州の山岳地帯を鮮やかな色彩で描いた地図が作られた。しかし、これは非常に読み取りにくかった。ジェニー氏はその理由を、強い色を組み合わせた地図は直感的に理解しにくいからだと説明する。(参考記事:「戦争から参政権まで「訴える地図」9選」)
国立公園局のトム・パターソン氏が手がけた米グレイシャー国立公園の地図(下)のような、落ち着いた色を暗いトーンから徐々に明るくしていく色合いの方が、読み取りやすく仕上がる傾向にある。地図に使われている色が、実際の土地の色味と一致していればなお効果的だ(青い湖と白い氷河というのは一般の感覚とずれていないが、サイケデリックな色をした山というのは理解に努力を要する)。(参考記事:「サイケデリックな太陽表面」)
試行錯誤は今も続く。ジェニー氏は動きを利用して高低差を表現する可能性を試そうと、Elastic Terrain(エラスティック・テレイン、伸縮する地形)というウェブサイトを制作した。コンピューターのマウスを使って地図を動かすと、山がブルブルと揺れ、丘陵地帯の谷の深さに目がくらむような感覚を覚える。それは車を運転している最中、通り過ぎる景色を車窓から眺めるときの感覚に似ているとジェニー氏は言う。「近くのものは速く動き、遠くのものはゆっくりと動くのです」