Photo Stories撮影ストーリー
数百年もの間、カリブの先住民族であるタイノ族は絶滅したとされてきた。しかし、最近になって歴史家とDNA検査によって、自分たちはタイノ族であると主張する多くの現代人の正しさが改めて確認された。国勢調査でタイノ族が調査項目から外され、「紙上の大量虐殺」が起こっていたが、彼らの民族としての意識は生き残っていた。この写真に写るジョージ・バラクテイ・エステベス氏は、米ニューヨークのタイノ族コミュニティを主宰している。写真家の阪口悠氏と協力して、現代のタイノ族を描き、過去の国勢調査をやり直した。(PHOTOGRAPH BY HARUKA SAKAGUCHI)
1802年の国勢調査から記録が途絶えたカリブの先住民タイノ族の人々が、その「紙上の大量虐殺」を正すべく、民族にふさわしい衣装に身を包み、人種に「インディアン」という選択肢を加えて当時の国勢調査をやり直した。写真家の阪口悠氏とともに、この写真プロジェクトを企画したタイノ族のジョージ・バラクテイ・エステベス氏が背景を語った。
タイノ族である私たちが、クリストファー・コロンブスとスペイン人を発見したのだ。コロンブスが私たちを発見したのではない。私たちは、自分たちの土地に住んでいただけなのだから。彼らは海で迷い、私たちの海岸にたまたま漂着したに過ぎない。というのが、私たちの歴史認識だ。
ところが、私たちは歴史の上では「発見された」ことになっている。アラワク語を話すタイノ族は、南米からカリブの島々へやってきて、4000年前からここに住んでいる。スペイン人は、黄金と珍しい香辛料を求めて1492年にカリブ海へたどり着いたが、そこに黄金はほとんどなく、香辛料も見たことのないものばかりだった。そこでコロンブスが目をつけたのが、奴隷貿易だった。(参考記事:「コロンブスを航海に向かわせた、トウガラシをめぐる冒険」)
金鉱やサトウキビ畑での重労働と、スペイン人が持ち込んだ伝染病のせいで、先住民の人口は見る間に激減した。タイノ族の絶滅説は、こうして生まれた。1565年の国勢調査で、イスパニョーラ島(現在のドミニカ共和国とハイチがある島)のインディアンは200人と記録され、その直後にタイノ族は絶滅したと宣言された。そして1802年以降、書類上はカリブ全域にインディアンはひとりもいないとされた。では、なぜ私たちはタイノ族であると言えるのか。
これまで国勢調査を批判的な目で深く掘り下げた歴史家はいなかったが、よく調べてみれば、植民地時代からその後にいたるまで、調査書や遺言書、結婚記録、出生記録などに、折に触れてインディアンの存在は記されている。私たちが今生存しているのは、祖先の多くが山へ逃げ込んだためだ。1478年にスペインで異端審問が始まると、多くのユダヤ人が拷問や虐殺を恐れてカトリックに改宗した。彼らは「コンベルソ(改宗者)」と呼ばれるようになった。同じことが、タイノ・インディアンにも起こった。
そして1533年以降、スペイン王室によってインディアンの奴隷に自由が与えられると、一部のスペイン人はタイノ族の奴隷を手放したくないばかりに、奴隷たちの書類をアフリカ人であると書き換えてしまった。またその間、カリブへやってきたスペイン人男性は、タイノ族の女性を妻にした。その子どもたちはタイノ族ではないのだろうか。(参考記事:「美しくも奇妙なアメリカインディアンの12の肖像」)
百科事典にはコロンブスの証言しか書かれていない
「紙上の大量虐殺」とは、書類から人々の記録を抹殺することである。1787年、プエルトリコの国勢調査には純粋なインディアンが2300人記録されていたが、次に国勢調査が行われた1802年、インディアンはひとりも記録されていなかった(その年の国勢調査をやり直したものがこの写真プロジェクトだ)。
いったん文書に書き込まれてしまったものを、後になって変更することはほぼ不可能に近い。百科事典には、コロンブスの証言しか書かれていない。彼は私たちをインディアンと呼び、カリブ海には間もなくインディアンがひとり残らずいなくなったと書かれている。どれほど先住民の顔つきをしていたとしても、自分の民族性を主張したとしても、絶滅したとみなされる。これが、紙上の大量虐殺だ。征服者によって作り上げられ、後の時代の研究者たちによって固定化された歴史だ。
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